昨日に続いて宿題について考えてみる。

宿題を作業にさせたのは何か
宿題をしない子のことを考える前に、そもそも、宿題をしない理由がどこにあるのかを考えてみたほうがいいだろう。
宿題が憎いほど嫌いで「絶対にやってやるもんか」と誓うような子は少ないだろうと思っている。それは昨日も終わりの方で似たようなことを書いた。それでも実際に悩んでいる親御さんは「言わないとしないんです、うちの子は」とおっしゃるだろう。だからこそ少し考えてみてほしい。本当にお子さんは言わないと宿題をしないのか。
中には本当に何も言わないと宿題をせずに平気で学校に行ってしまう子もいるとは思うけれど、一方で「本当はしなくちゃいけない」とわかっていてもしないで済ませてしまう子も多いと思っている。
そこで考えてみるのだが、大きいのは親から「しなさい」と命令されてしまうことに対する拒絶反応が第一だと思っている。「しなくてはいけない」のは重々わかっていても、いざ「しなさい」と命令になってしまった段階で反射的に「嫌だ」に変わるということだ。そしてそれが積み重なると、もはや宿題はその意義を失い、ただの「言われて仕方なくやる苦行」に姿を変える。
一度簡単に整理すると、宿題を作業に変える要因の一つは「命令」だということ。
親が嫌いになっているわけではない
でも、「いや命令したわけではない」と思う親御さんは多いだろう。それはそうだと思うが、残念ながら子供はそうはとってくれない。今、新人社員の教育で苦労する人が多いという話は聞く。「本人のため、業務のために間違いなどを指導しているだけ」と先輩上司は考えているのに「パワハラだ」と訴えられてしまうのと同じで、子供はその内容の是非を問わず「命令」に拒絶反応を示すことがある。
ここで注意が必要なのは、新人社員の話は脇に置いておき、子供の場合は親自体を嫌いになるわけではない。ドラえもんばかり引き合いに出してしまうが、「宿題をしなさい」「勉強をしなさい」と言われたときはママやドラえもんなどを「鬼」と言わんばかりに恨む一幕があるが、いざ夜になって食卓を囲むシーンになると楽しそうに家族みんなが談笑している。つまりこの場合、のび太君はママなどの「命令」を嫌っているのであって、ママ自体を嫌っているわけではない。むしろ大好きなのではないか。
ここがポイントであって、子供は命令が嫌いなのであって、命令をする親を嫌っているわけではないのだ。そして親側から見ても「命令しているわけではない」のに子供に「命令」だととらえられて嫌がられ、ひどい場合は子どもに失望してしまうという悪循環になるのが最も恐ろしい。
命令をしない環境とは
だから理想を言うなら「命令しない」環境がまずは望ましいのは言うまでもない。だがここで、「でもうちの子は言わなきゃやらないんだから」と思われることだろう。だからまずは、命令しなくてもいい環境をどうやって作るかを考えなくてはいけないと思っている。
この命令しなくてもいい環境づくりとは何なのか。それは、難しいかもしれないのは承知の上で言うが、信頼だと思う。
そもそもだが、命令するようになり始めたのにはきっかけがあったはずだ。例えば友達と遊ぶのに約束の時間が決まっていて、「帰ってからやる」と決めていたのを遊んで帰った勢いで頭から抜けてしまうパターン。その場合、後で「やったの?」と聞かれて「あ、忘れてた」と答えられることになる。ここで子供への信頼感を失くし、「毎回確認しなくちゃ」と考えるようになると、親は次からいちいち「宿題やったの?」と確認するようになる。遊びに行く日などのイレギュラーな場合以外でも確認せずにはおれなくなる。子供を信頼していないから。ただの確認のつもりでも積み重なると子供の耳には命令されているように響いてしまう。そして宿題ではなく命令を嫌って反抗的になる。一例としてあげるならこのようなパターンだ。
これらの積み重ねは、いずれ大きなダメージになって跳ね返る。信頼されていないことに子供がうすうす気づき始めるからだ。長くなるので今日はここで終わり、明日また考えを続けていきたい。
