古くからある漫画やアニメ、例えばドラえもんやサザエさんのようなものだが、あの中によく登場するのがママ達からの「宿題やったの?」だ。たいていはまだやっていなくて怒られたり、無視するように友達と遊びに行ってしまって「もう、あの子ったら!」のような展開になることが多い。
架空のキャラクターを持ち出すのはいささかどうかと思う点もないではないが、のび太君やカツオ君が宿題をしないのは、おそらく彼らの言動を漫画などで見る限り、宿題が「嫌な作業」になっているからのように感じる。
今日は少しばかりこの宿題について考えたい。
宿題の目的、意義
宿題というのはそもそも何のために出るかというと、おおむねこの2つが目的だろう。
「授業の復習と定着」と「家庭学習の時間の確保」のふたつだ。
授業の中だけで演習から定着まで見ていくのは学校でも塾でも時間の制約があるから不可能だ。だからこそ復習のためにそれなりの量の練習問題やドリルなどを宿題として課す。さらに授業以外の時間で、多くは家でどれだけ勉強できるかが理解なり定着につながるのも確かだ。
だからできる子はしっかり宿題をやってくる。今日ここでは細かい話は避けるが、ただやるだけではなく効果的に宿題をやってくる。
宿題が作業になる
ただ、勉強が好きでない子にとっては宿題はただの作業になる。とりわけ勉強が得意でない場合は「嫌な」「しんどい」作業になる。だからやりたいと思わないうえに、親から「やりなさい」「もうやったの?」と命令されたら余計に嫌になるに決まっている。
簡単に言うなら「仕事を押し付けられた」感覚に近いかもしれない。
宿題をする意義であったり、宿題をすることで得られるであろうメリットを知らない、もしくは考えようとしないまま、ただただ宿題を「やりたくないもの」にしてしまった結果がのび太君たちの姿になるのだろう。
であれば、宿題をする意義などをわからせなくてはいけない、ということになるだろうが、これは結構難しい。以前こんな日記を書いた。

宿題をする意義に絶対はない。しなくていい理由なんて理屈だけならいくらだって思いつくので、やりたくないといっている子に理由をわからせるのはほぼ不可能だ。言い換えれば「やりたくない」「嫌な作業」と子供が思ってしまった段階で手遅れになる。もうこの状況をひっくり返すには特殊な出会いや衝撃を受ける経験のような「運」の要素を待つしかなくなる。
それでもなんとかしたい
ここまでの話だと何やら絶望的な気分になってしまいそうだが、私はこうも考えている。それは「勉強をしなくてもいい」と心から信じて勉強や宿題をしない子はほとんどいないだろうということだ。
勉強をしなくてはいけない理由に絶対はないように、しない理由にも絶対はないのだ。表面的には「宿題なんかいやだ」と言ったり「宿題しなさい」と言われてムッとする姿を見せても、実際は宿題はした方がいい、勉強はできたほうがいいと思っている子は多いと思っている。
そこを信じて、「なんとかさせたい」と親御さんがもし思われるなら、少し考えなおした方がいいと思うことがある。そもそも嫌いにさせてしまった原因を考えることだ。これは明日に改めて考えたい。

