少し前にこんなことを書きました。


このお話のうち、①の冒頭でお話ししたYouTubeチャンネルが福島大学(福島県にある国立大学)をめぐって動画内で発言したことが大炎上し、学長の先生がコメントを出すほどの事態になったそうです。
動画自体は私は見ていません。既に削除されたようですし、私自身もSNSなどで動画のキャプチャー画像を見た程度ですが、Yahoo!のニュースになるほどで、ずいぶんな騒ぎになったもんだと思って見ています。
動画で問題になったこと
内容を軽くお話しすると、YouTuberが福島大学の学生にインタビューした際に、大学で放射能や事故からの復興に関する研究を行っているという話の中で「放射能の研究は重要だから福島大学に触ってほしくない」と発言したことが問題になったようです。
発言の意図は定かではないですが、チャンネルの性格から考えて、「(難しい研究だから偏差値の高くない)福島大学に触ってほしくない」という趣旨で言ったのでしょう。偏差値の話だけならスルーされたのかもしれませんが、今回は研究や大学を揶揄する発言なので看過しがたいと判断して、学長の先生はコメントを出されたのだと思います。
このYouTuberがとある大学受験塾の関係者であったことからも、騒動はさらに広がりました。
私の考え
さっさと本題を話してしまおうと思いますが、規模で言えば天と地の差である零細個人塾の私であっても、同業者として彼らの発言は決して許せません。個人的な感情100%で言うならば、動画の削除だけではなくチャンネルごと閉鎖(BAN)になってほしいくらいです。
なぜそこまで怒りをあらわにするのかと言うと、この手の発言ないし学歴イジリが娯楽としてとらえられるようになると、人をあるいはものを見る考えがゆがむと思うからです。特にまだ社会を知らない中高生のお子さんがです。どの大学に入ったかだけで他人を見下ろしたり、逆に入ったということだけで自分自身に安住してその先につながらない可能性も考えるからです。
上で挙げた過去の記事のとおり、私自身は学歴社会や学歴重視のものの見方は「仕方がない」ものとして、腹を据えて向き合う必要があるものと考えています。それは時代の必然として多くの人の中で、その善悪とは別に必要とされて存在してきたからです。
塾での考え
塾としても大学受験をゴールとして考える以上、偏差値とはいやでも向き合わざるを得ません。何せ私のいる近畿地方だけでも100を優に超える数の大学があります。その中から「どこを目指すのがいいか」を考える際に、偏差値のような指標はあった方がわかりやすいと思っています。
もちろん、そこでしかできない研究や学科を求めるなら偏差値にこだわる必要など微塵もありません。そこに向かって一生懸命頑張ればいいのですが、たいていの大学はそうではありません。文学部や経済学部はたいていの大学にあります。工学部や情報系学部も大抵の大学にあります。だから、その中で大学を評価し、志望校を目指すうえでの一面での指針としての偏差値は、ないとむしろ困ります。
ですから受験生に対して、できれば高偏差値の大学を目指したほうがいいと話すことは当然あります。明確な理由がないのに偏差値が低い方の大学を目指す必要はないからです。自分の今いる位置より一段でも二段でも高い場所に手を伸ばす姿勢は求めます。
ただし、それはあくまで自分の目標として掲げるうえでの指針です。その結果をもって他者を蔑んだり見下ろしたり、あるいは逆に見上げて卑屈になったりするようなものではありません。塾側のエゴで特定の大学に合格することを推すつもりもありません。決めるのはお子さんです。もう一度上で挙げた記事の言葉を使いますが、その結果として勝ち取った学歴は「努力の勲章」です。他人に対してのものではなく、自分自身の胸に輝くものでなくてはいけません。
その努力に対して真摯に向き合うのが私の姿勢、ひいては当塾の姿勢です。目指す大学は本当にどこでもいいのです。偏差値も関係ありません。お子さんが目指したい、ぜひそこに行きたいと覚悟を決め、真摯にひたむきに努力すると決めた場所であれば。その結果手にした学歴、それがもしかしたら第一志望には届かずとも、それが最後まで手を伸ばした結果進学することになった大学であるならば、その努力の勲章が光り輝く限り、そのお子さんは大学であるいは社会で必ずひとかどのことを成し遂げると思います。
そしてそれを成し遂げられるような人間であれば、どんなに高偏差値の大学に行ったとしても他人を蔑むような言動はしないはずです。私は小さくともこの塾でそういう人間を一人でも送り出し続けたいと心から思って毎日お子さんと接しています。
ですから私は、他人のことを(いかにインタビューを受けた学生本人たちが同意していたにせよ)蔑むような姿勢で遊んでいるようなことしかしないこの手のYouTube動画は絶対に許せません。ここに来て書いているうちに怒りというよりむしろ悲しみを覚えるようになりました。
少し感情任せの日記になりました。

