お盆中の話というわけではないのですが、最近学歴イジリなどで話題のYouTubeチャンネルが炎上していたそうです。何年か前にとある大学をめぐって大炎上したことで話題になった際に一度だけ目にしましたが、それ以来全く見ていない中、SNSなどで話題になったようで、改めてニュースを見て考えてみました。
九州大学の教授さんが、猛烈な批判をそのチャンネルに対して行ったことが騒動の発端だったようですが、そもそも動画の内容の是非はさておき、どうしてこういう学歴イジリのような動画が人気で、もっと言うなら九州大学の教授さんが批判するような学歴に対するものの見方が長く続くのでしょう。
YouTubeに対する話は完全に横においておき、学歴とは何かを今一度考えてみようと思います。
学歴の見方
学歴というのは本来、どの種の学校を出たかを言うものです。中卒、高卒、大卒、専門卒、院卒のようなことを指します。ただ現在は、大卒以外は本来の意味で通りますが、大学の場合のみどの大学を出たかを指して「学歴」と称しています。高学歴というのは大卒などを指すのではなく、例えば東大卒、早稲田卒のように、具体的に名門や難関と呼ばれる大学を出たことを指します。
ここでは定義そのものにツッコみたいわけではないので現在の見方に沿い、どの大学を出たかを学歴を測るファクターととらえることにします。
この学歴を図るうえで大切なのは大学の「ネームバリュー」もしくは「偏差値の高低」です。ただたいていの場合、ネームバリューは大学の人気に直結するので偏差値とはおおむねリンクしていますが。
高学歴と呼ばれる大学の共通点「伝統」
はっきりとどこが高学歴でどこがそうでないかを線引きするのは難しいですし、そもそも意味のあることとも思えないのでしませんが、おおむね高学歴ととらえられる大学には共通点があります。
それは「伝統」です。代表は日本最初の帝国大学だった東京大学でしょう。その後に各地に設置された帝国大学を前身とする国立大学(いわゆる旧帝国大学)は各地方だけでなく全国的にも高い人気と偏差値を誇ります。
一方で私立大学も同じです。名門である慶応義塾大学や早稲田大学は旧制大学の時代から数えて100年以上、前身だった私塾や専門学校時代も加えればさらに長い歴史を持っています。関西なら同志社大学や関西学院大学もそうですし、他の地域の伝統の大学ももちろんそうです。
新制大学になってから誕生した国公立大学であっても、大学としての期間はこれら私大や旧帝国大学に比べて短いかもしれませんが、旧制の高等商業学校など(一橋大学や神戸大学、大阪公立大学)の前身をもつ大学は、やはり高い人気を誇っていますし偏差値もそれに応じて高く、旧帝国大学に匹敵するレベルです。
伝統が名門を作っている
伝統の持つ力は大きいです。それは長い歴史の中で培ってきた人脈であったり、各界で名をとどろかせたOBやOGであったりするわけです。初期の段階では創設者の力も大きいでしょう(慶応なら福沢諭吉、早稲田なら大隈重信、同志社なら新島襄)。
そういう伝統と歴史の中ではある現象が生まれます。それは優秀な人やその子弟たちがその大学に行っている、という評判が他の優秀な学生を取り込むということです。この優秀な人たちの仲間入りをしたい、あるいはわが子にさせたいと多くの人が思うわけですね。
その結果として、地位を確立した大学は「名門大学」になって、多くの人のあこがれの的になりました。それでも明治、大正、あるいは昭和初期の戦前のような時代は大学に行ける人自体が限られたエリート層だったわけですから、多くの庶民にとってはあまり大きな存在にはならなかったことでしょう。ところが戦後、高度経済成長の時代を迎えると、一億総中流と呼ばれる時代がやってきます。昔は高嶺の花だった大学も、頑張れば経済的には行かせられる時代が来ます。大学進学率が高まり始めるのです。
皆が行く時代から始まる序列化
すると、大学に行けるかどうかはステータスに関係なく学力に依存し始めます。入試で決まるのだから当然ですね。そして、経済的な制約も小さくなってくるとなると、一般家庭からでも本人の学力が高ければ名門大学を目指すことは不可能ではなくなってくるのです。こうなると、まずは大学に行った人と行かなかった人が分断されます。いわゆる学歴社会の始まりです。そして大学進学者の割合が高まり始めると、行かなかった人のことを下に見る風潮が現れ始めます。
更に時代が進んで、過半が大学ないし専門学校へ進学する時代が来ると、もはや大学に行くこと自体の価値は半減し、より「いい大学」に行ったかどうかが価値を持ち始めます。もちろん就職などに直結することでもありますから、有名大学を目指す価値は多分にあるわけですが、もう一つ裏側では大学の序列化が進んでいきます。東京の私大なら早慶が筆頭、上智大学や東京理科大学などが続き、次に明青立法中(今でいうMARCH)という風にです。早稲田大学の方が明治大学より賢い、青山学院大は日本大学より賢い、といった具合です。
このあたりから始まる流れが、今に至るYouTubeその他での学歴イジリにつながっていると私は見ています。
おわりに
長くなるのでいったんここでお話を切って明日に改めようと思います。
現在の意味においての学歴が生まれたのは、大学に行くこと自体が特別でなくなり始めた時からだと見ています。大学に行く人が多くなればなるほど、その人たちの間で作られる「差」は学校歴にならざるを得なかったからでしょう。
私自身はこの学歴に対する人々の考え方や風潮自体は否定も肯定もしません。善悪の話ではなく、時代の必然として生まれたから仕方がないと思っています。
ではその只中にあって、大学に行くにあたって考えるべきことは何だと思うのか、あるいは私の塾ではお子さんたちに大学進学についてどのように考えるのか、それを明日お話ししようと思っています。

