塾で指導を続けるうえでいつも考えなくてはならないこと、それはもちろん「成績が上がること」や「志望校に合格できるようにすること」なのは言うまでもない。
そのために必要になるのが「勉強に対する真摯な姿勢」をどのように育てるかということになってくる。「言われたことをやればOK」という受け身の姿勢ではない、「もっと教えてくれ、もっと解けるようになるんだ」という進取の気風とでもいえばいいのか、それを子供たちにどのようにして持ってもらえるかが毎日私の頭の中を支配していると言って良い。
「どうにかしてこの子を」というある種の執念というのか、場合によっては狂気ともとられかねない、そういう気持ちを腹に宿し続けているようにしか、今の私を自分が見ているとそう思えてならない。
その結果として、教え子の中には難関校ではないかもしれないが、公立高校なんてどこにも行けないような成績の子がどこかのタイミングで目覚めて成績を上げていき、公立高校に合格したことがある。成績2や1の子が4や5になり、気が付けば成績上位をうかがうまでに成長してくれた経験もある。
どんな子であっても、いつかどこかで目覚めるタイミングが来れば成績は伸びる。もしかしたらその間は親御さんにもヤキモキする時間を過ごしてもらわなければならないかもしれない。塾で勉強を積んでも成績に結びつくまでに、想像以上に長い時間がかかることもある。
先に挙げた卒塾生は小5から通っていた子で、ついに上昇カーブに転じたのが中3だったわけだが、よくそこまで私を塾を、何より一番にお子さんを信じ続けて下さったと親御さんには感謝と尊敬以外の気持ちがわいてこない。結果としての本人の成長の喜びは書いたことがある。

今もそうだが、私自身は勉強に関しては相当以上に厳しいと自負している。それは「なんでこんなもんがわからんねん!」のような表面的な問題の出来不出来に対する厳しさではない。「『死ぬ気で覚えてやる』くらいのガッツがないのか!」というような、勉強や目の前の試験などに対する真摯さに対する厳しさになる。
いくらトライしても問題がなかなか解けない、解き方が入ってこない子もいる。しかし、その子に何としてでも点数を取りたいというような真摯な気持ち、オーラのようなものを感じられる限り、絶対に私から見切るような真似はしない。受験にも試験にもタイムリミットがあるから厳しい意見をしなくてはいけないタイミングはあるかもしれないが、心の底では応援以外の気持ちはない。
「じゃあやる気がない子、そのようなオーラがない子はほっておくのか」と言われるかもしれないが、そういうことではない。その子たちに、勉強に限らないかもしれないが真摯に物事に取り組む姿勢を教えるのも、はばかりながら私の仕事だろうとは思っている。だからこそ「この子はどうすれば真摯に勉強に向き合うのか」を、「この子はどうやって成績が上がるだろう、志望校に受かるだろう」と同じくらい、いやそれ以上に悩み考え、日々接し続ける毎日になる。
嫌われるかもしれない、嫌がられるかもしれない、それでも実ると信じて続ける種まきの毎日だ。
なんだかとりとめがなくなったが、最近の心象の日記。

