11月に入って少し寒さを感じる日が多くなってきた。いよいよ冬が近いかと思わせる。
昨日は学校授業をおろそかにしないというテーマで書いた。

私は結構明確に「学校で授業をちゃんと聞いているか」を問うことがある。その一環で必ず授業時には「学校で何やったの?」と尋ねることにしている。その中身は学校授業の進捗を知りたいという目的が半分、もう一つは学校で授業をきちんと聞いているかを確認したいという目的が半分だ。
上に挙げた昨日の日記でも書いたことだが、できる子ほど学校の授業はおろそかにしない。たとえ進学塾などで先取りをして理解が十分であったとしてもだ。それは全てにおいて真剣に取り組むもの、という前提が備わっているからに他ならない。
ではその前提たる「授業は必ずきちんと聞くもの」という感覚はどこで養われるのか。残酷な話になるが、それは就学前などかなり幼い段階で大まかな部分が形成されてしまう。これから小学校に入学するぞ、学校に行ったら授業をきちんと聞くぞ、という意志をはじめから固めて入学しているから、その意志が揺るがないまま授業をきちんと聞くようになる。そしてそれは、幼い段階で築かれた文化のようなものが土台になっている。
早い段階で「嫌ならしなくていい」「嫌なら行かなくてもいい」と悪い意味で子供の意志に寄りかかってしまうと、この意識は醸成されない。与えられたものに向き合えと後の段階で言ったところで後の祭りになってしまう。
では今になったら手遅れかというとそんなこともないだろう。手遅れになる子もいるかもしれないが、外部からの声掛けや強い指導で変わる可能性だってもちろんある。
私自身はその可能性に賭けることにしている。今からでもいい、学校授業ひいてはあらゆる自分自身の目の前に現れる課題に以下に真摯に立ち向かうことが大切か、それを陰に陽に伝えることで子供たちが変わってくれる可能性は大いに信じている。
教科知識を教えるだけならそれでいいかもしれない。塾なんだからそれだけが仕事だろ、と自分に言いたくなる瞬間は何度もある。今だってそうだ。
ただ、私自身は勤務時代を含めて長年塾に携わってきた経験から知っている。成績を上げたり志望校に合格するために必要なのは教科指導だけではない。学校授業、部活動、習い事、全てにおいて真摯に向き合う姿勢が備わっていることだ。
もちろん人には能力の壁があるから、誰でも京大や阪大に行けるわけではないし、誰でも関関同立に行けるわけではない。だが、真摯な姿勢が備わっていれば、その子の持つ能力目いっぱいの結果は出すことができる。そして単純な学歴(学校歴)にとどまらない努力の勲章を手にさせてあげることができると信じている。その目いっぱい手を伸ばした結果を手にできれば、その子はその後の人生でさらに大きく手を伸ばして大きな結果をつかみ取ってくれると信じている。
大きなことを言ったと思っている。塾という仕事の本分からは外れているのかもしれない。それでも私は目の前の塾生が、目の前の事や自分にできることに真摯になって食らいつき、自分の力の範囲を少しでも伸ばせるように関わり続けたい。そしてその思いに共鳴していただける保護者の方々と共に歩んでいきたい。
そして青臭くても本気で、真摯に物事に向き合える真の強者を育てたい。

