テスト対策期間に寄せて「努力の客観性」

勉強

2学期は中間テストが10月頭にある。塾では今週末あたりから対策期間に入り、土日に教室を開けることになる。

今回指定しているのは「1週間前までに範囲内の提出物、ワーク類を終える」こと。終わる見込みがなさそうと判断した場合は授業以外の曜日に塾に来させる方針だ。残った1週間で練習を詰め込んでテスト当日に臨ませる。

今回テストにあたって塾生たちにもう一度叩き込む必要があるのは「自分のペースでやっていてもだめ」という点だ。テストの点数や順位はある程度相対的なものであって、自分自身の頑張りだけで測っていいものではない。自分がどれだけ一生懸命頑張っていると思っていても、「他の子はもっとやってるだろうな」と思えるかどうかが大事だということだ。

とはいえ、当たり前だけれども他人の努力は目では見えない。だから想像することになる。まず想像すらしないのは問題外だが。想像ができたら、次は自分自身が不安になるかどうかが大切になる。周りに比べて自分はできていないのではないだろうか、という不安だ。この不安が心を勉強に向かわせ、体を机の前に向かわせる。

今の子はかわいそうだと思っている。周りと比べるのが悪いことだと教えられてきているからだ。悪いのは周りと比べて人を見下したり、あるいは見上げて卑屈になる、差別意識などで周りを見ることであって、自分自身を向上させるために周りとの差を意識するのは、当然のごとく必要なことだと思っている。ときおり「周りなんか気にしない」と言って好成績を取る人がいるから勘違いしがちだが、こういう人の言う「周りを気にしない」は、自分自身だけを見つめて努力できる人間だから言えるセリフだ。

実際、周りと比べることがいけないこと、という面を誤解して自分の殻の中だけで物事を見ている人は成績も悪いし仕事もできない。甚だしいのは、小さい頃から親がその尻押しをして「うちの子は〇〇さんとは違うんだから」と言ってしまうパターンだ。たいていはうまくいかない。

もちろん、「周りなんか気にしない」と自分自身とだけひたすら向き合って努力することは重要だ。それができていれば他人を意識する必要なんかないという考えもある。ただし、一言言っておくならこれは相当に難しい。並の人間には不可能と言っていい。

それはなぜか。自分自身によほどストイックでなければ、自分自身に対するハードルはいくらでも下げることができるからだ。疲れたり飽きたりしたときには「これだけやったからOK」と自分で判断してしまえるからだ。その自分で決めた「OK」のラインは他人との比較ではないのだから客観性はまるでない。そのラインが他の人より低ければ成績は低いまま。そのうえ自分では「頑張った」と認識しているからたちがわるい。「頑張ったのに」成績が伸びなかったという主観丸出しの判断で「努力しても無駄」と考えるようになる。こうなったらもう手の施しようがなくなってくる。

塾にできる大きな役割と私が勝手に思っているのは、今までの指導歴などで蓄えた客観的な基準の提示にある。頑張ったかどうかの判断主体をこちらの持つ客観性に持ってくることにある。それが上で述べた「自分のペースだけでやってもダメ」ということの意味になる。自分がどれだけ頑張っているかではなく、自分自身にどこまでストイックになれるかを伝えるテスト期間でありたい。

あと1週間くらいでテスト対策期間が始まる。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

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