指導について考える毎日です。昨日はその中の一つとして、書店をめぐりながら教材について考えましたが、今日は指導そのものについて考えていきます。
指導そのものといっても、指導のシステムや塾の運営といった外側の話ではありません。指導する上での心構えについて(今までだって考えなかったわけではもちろんないのですが)、もう少し掘り下げて考える機会になりましたので、そのことをつらつらと書いてみようと思っています。
授業スタイルの目線
塾であれ学校であれ、講師や先生が授業をします。その時に少し頭に入れておかなければと思っているのは、「こちら側(教える側)はなんでも知っている」という前提です。
例えば入試問題を解説する場合、こちらとしてはかつて自分自身も受験生として経験済みなうえ、毎年受験生を指導している立場ですから毎年入試問題に触れることもしており、入試問題のイロハはもうすでに頭に入ったうえで授業をします。だから、「まずは傾きを見よう」であったり、「まず濃度を求めたいなら溶質と溶液の質量を求めよう」といった具合に、すでに敷かれたレールに沿って手順を解説することになります。
新しい単元の指導に入る場合もそうです。自分でも現役時代に勉強し、指導者の側になると毎年同じことを教えるわけですから、年を経るごとに知識や授業の技量は上がりますが、それと軌を一にして公立の良さや手っ取り早い理解の道筋もたくさん見つけてしまいます。効率が上がるからいいじゃないかと思うかもしれませんが、それが全ていい結果になるかというとそうは言いきれません。
受け手であるお子さんたちは当然ながら、受験であれ新しい単元の授業であれ未体験ゾーンに突入することになるからです。決まったルートを説明するだけでも理解の回路がしっかり構築できるお子さんならそれでも対応できますし、効率の良い教え方が向上すればするほど、そのほうが効率的に授業を進めていけます。進学塾の授業というのは、そういうお子さんのためにある授業だと思います。
一方で、そういうお子さん(学習適性が高いお子さん)というのは数は多くないと思います。多くのお子さんは、新しいことを勉強するにしても、入試問題のような難しい課題に挑戦するにしても、根っこから持ち上げていかなくてはいけません。
下から見上げる目線
この持ち上げていく際に必要な指導側の目線は「一緒に山を登る」という目線です。これから初めて目にする単元、初めて目にする入試問題ですから、お子さんはいろんなことで迷います。何から手を付ければいいのか、どういう風に考えたらいいのか、そもそも解いたことがないから問題を見ても皆目見当がつかないという状態ですね。
指導する上で大切にしたいのは、この一緒に山に登る際の目線、同じ山に向かって下から見上げる目線だと思います。あらかじめ何度も登ったことがあるという目線に立つと、ルートもかかる時間も、登る際に気を付けなくてはいけないポイントもほぼすべてわかっていますが、その経験は経験として持ったうえで下から見上げる目線に立つのです。
我々もそうですが、受験の際や新しい単元の授業に入る際は、とにかく手探りでした。「あれ、こんな問題中間テストでも期末テストでも見たことないぞ」や「関数って何?」と思うわけです。その中で詰まる経験をしながら、いくら考えてもなかなか頭に入ってこない経験をしながら学んでいき、解けるようになり、受験を突破してきたわけです。
この経験をお子さんの指導に当たって活かしたいと思います。詰まるポイントがわかっている、という教科指導の面ではありません。どういうプロセスを経て苦しみ、克服してきたかを強化知識や解法の面ではなく、お子さんが抱く心の動きや歩みを如何にしてたどらせるかが、指導の目線だと私は考えることにしています。
なかなか大変です
言うのは簡単ですが、なかなか大変です。まず第一に、お子さんが苦しむことを正面から受け止める覚悟が必要ですから。「ああ、来たな」という感覚に何度となく襲われます。
もう一つはお子さんにこれを乗り越えてもらうまでが大変です。何度も同じような問題につまり、人によっては無力感にさいなまれることもあるかもしれません。そこで折れない粘り強さがこちらには求められます。
こちら側の都合ばかりになってしまいましたが、もちろんそればかりではありません。お子さんにとっても苦行です。脳みそに汗をかきかき苦しみながら理解や正解に近づいていく必要があるからです。耐えきれなくなるお子さんも少なからず出てくる恐れがあります。
でもやるしかない
でも私は当塾は、正面切って向かい合います。できるようになるまで、解けるようになるまで、時間がたってもできるようになっている状態になるまでです。
それはお子さんによっては途方もない時間と労力を必要とするかもしれません。でも、私は本人にあるいはご家庭に「どこまでも粘らせたい」という意志が認められるならば向き合い続けます。
授業を中心として指導できるスタイルの方が楽なのは否定しません。カリキュラムと予定さえ組めてしまえば、そこに従って進んでいけるのですから。でも、私が目指したい姿は「すべてを知る賢者」としての指導者ではありません。白状するとかつては持っていましたが、その理想としての立場は捨てました。理想ではなくエゴだと思ったからです。今目指している姿は、「子供たちの苦しみを一緒に感じながら一緒にどんな険しい山でも登っていく伴走者」としての指導者です。
そのために、お子さんの苦しみ、あるいはこれから味わうであろう苦しみを一緒に味わいながら寄り添って一緒に大学進学まで登り続けようというスタンスです。
はっきり言います。効率は悪いし私もしんどいです。でも、それが必要だという信念があれば、しんどいかどうかはどうでもよくなると思っていますし、実際今そう思っています。
来たるべき2学期、お子さんの能力も個性も実に様々です。その一人ひとりの心のひだまですくいとれるような毎日にしていきたいものです。そしてどこまでもお子さんと同じ地平で勉強に付き合い続けたいものです。

