サッカーのワールドカップが始まってしばらくたつ。日本代表もここまで健闘を見せていてくれて、応援する力が入る(昨日はチュニジア戦勝利の日)。
今大会は出場国が多く、中にはあまり耳慣れない国や地域も出場している。たとえばカボベルデ、キュラソーといったところ。私も恥ずかしながらよく知らない国なので、Wikipediaなどで調べて知った。
ほかにも、ラグビーやサッカーになると、イギリスという国は出場せず、イングランドやスコットランドといった、連合王国の各国が国として認められて出場している。
サッカーの話がしたいわけではなく、勉強の話になるのだが、ワールドカップの出場国の情報一つとっても、知識の源は転がっているというのが話の趣旨になる。
以前、こんな日記を書いた。

社会が苦手な子は多い。そういう子たちに話を聞いていると共通しているのが、身の回りの出来事やニュースなどに対してあまりにも知らなすぎる。もっと言うと関心がなさすぎる。
毎日のように状況が変わり、そのたびに石油がナフサがと大騒ぎになる中東情勢だが、そのことも知らない。イランもイスラエルもレバノンも場所を知らない、といった具合だ。そもそもアメリカとイランが戦争状態にあること、イスラエルとヒズボラの戦闘状態にあるニュースも知らないのではないかと疑われる。
一方で、ワールドカップでこういった我々が普段接しない地域名から学びを得られる子もいる。言い過ぎは承知だが、こういった細かい違いの集積が、長じて社会の点数になって表れる。当然他の科目にも波及する。ニュースその他の教養が下敷きになりやすい大学受験の英語などになるとさらに顕著になる。
学力の差が点数その他の成績の差になるのは確かにある。そこにはある種の才能が関係しているのもあるだろう。ただ、少なくとも中学生までの間、義務教育の範囲内では普段の興味関心が成績に直結しやすい。特に社会や理科のように、自分たちの周りに起きるものごとに関する科目ではそうだろう。
勉強というと試験勉強や受験勉強というイメージを持ちがちだけれども、実際はあらゆる科目が(実技科目に至るまで)有機体のようにつながっている。そしてそのつながりのきっかけは、教科書や問題集、参考書に転がっているわけではないことが多い。それは道端に咲く花であったり夜空の星であったり、日本の政治であったり事件であったり、世界のニュースであったりスポーツの大会であったりするのだ。
身のまわりに興味を持たせるというのはなかなか難しい。子供たちにとっては自分の本能的な欲求で見える世界が身のまわりのものごとになるからだ。迂遠だが、身のまわりの物事に対していかに興味を持たせるか。模索は尽きない。

