うちの塾では、意欲ある子ほど授業時間が増える。授業時間というより勉強時間といったほうが適切かもしれない。
今高3の塾生がそうだった(今もそう)のだが、やるという子にはどんどん授業時間が増える。1年間で顔を見ない日の方が少ないくらいになっていく。
中学生にもその流れはやってくる。ちょうど今、夏休み前の塾生懇談の時期。積極的に「毎日来ませんか」と声をかけて回るつもり。そして昨日からそれは始まっている。
授業をしてあげてもいいのかもしれないが、毎日通塾する子に毎日授業をするのはかえって逆効果。個々にしなくてはいけない課題を与えながら、時には自主的に課題を発見して取り組んでもらう、今授業内で行っていることを時間を拡大してやりましょう、という具合だ。
同時に、個々の塾生との向き合い方にも変化をつけ始めている。端的に言うとコミュニケーション量を増加していくようにしている。油断していると他の子に教えている内容の質問が飛んでくる。今目の前で解いているワークなどに関連する質問が飛んでくる。学校で受けた授業の内容を聞いてくることもある。いつ何を聞かれるかわからない緊張感と同時に、知識の引き出しからものを取り出すスピードを鍛えたい。
他に進路に関する話も積極的に話していく(これは小学生には難しい)。行きたい高校は?大学は?何をしていきたいのか、何が人生の望みなのか。そういった諸々の話題から日々の暮らしに至るまで話していく。時には人生の先輩として、時には同じ目標へ向かう伴走者として。
これは正直なところ、塾生もそうかもしれないが私にも負担は大きいと思う。本来なら淡々と授業だけ進めていければ楽なのかもしれない。しかしそれは私の本分ではないと私は思っている。私の本分は子どもたちにとことん付き合うこと。同時に保護者の方ともとことん付き合うこと。これを限られた人数の子たちのために続けていくのが、町塾としての私の思いだ。
科目の授業だけなら進学塾のスーパー講師や予備校の名物講師の方がうまいだろう。私だってそういう講師になれればと思うことは一再ならずあった。でもそれを捨てた。授業は今でも毎日研究しているが、同時に授業のうまい先生よりも子供のために行動する先生というフィールドで戦う道を選んだのだ。授業のうまい先生がいいなら、そういう先生のところで学んでほしい。私はどこまでも子どもたちの将来のために粘着質な人間でありたい。お節介おじさんでありたい。
授業をする先生という側面、それ以上に目の前の子たちのための最適解を探す伴走者という側面、持てる全人格をぶつけて子供たちのために全力投球する先生。
またもや感傷的な文章だが、青臭くともそれを誇りに今日も子どもたちとともにありたい。

