サッカーワールドカップ、先日日本代表はブラジルに敗れて敗退となった。
試合展開その他もあって、代表の戦いには様々なコメントや声が上がっているようだ。経験者でもないので試合その他に関するコメントはしない。けが人も多かった中、最後まで戦ってくれた代表選手の皆さんには敬意をもって「お疲れさまでした」ともちろん言いたい。
一方で、日本代表が掲げていたのは「新しい景色」「優勝」だった。その点からみると、本当に優勝を狙うにふさわしい内容だったのかは正直なところ疑問はある。ブラジル戦は見ていたが、1点取った後の後半の展開は10年以上前の試合を見ているときのように感じた。偉そうなことを言っているのは百も承知だが、「よくこれで『優勝』って言えたよね」というのが正直な感想だ。
何でもそうだが最初は頑張りだけでほめられる。サッカーもそうだったが、初めて出場したワールドカップ(フランスだったか)は、前回にドーハの悲劇を経験していたので出ただけで喝采。結果は3戦3敗で得点も1点のみ。でも、その最初の1点に沸いた。その後日韓大会で初勝利、決勝トーナメント進出。実績が上がるたびに見るものの声も変わる。世界と戦うという視点に変わる。
これはラグビーの話だが、2015年のワールドカップで、日本代表が南アフリカ(世界トップクラス)に勝ったことがある。日本中がわき、五郎丸選手など人気選手も数多く登場した。しかしその後、試合を重ねるたびにマスコミ解説の声は変わっていった。2023年のワールドカップの頃くらいに1人の解説者だったかがテレビで話していたのだが、「もう日本代表は『勝った』というだけで称賛してもらえる段階は過ぎたと思います」という趣旨のことを言った。負けても「がんばったね」ではなくなったのだ。「なんで勝てなかったのか」と言われる段階になるのだ。厳しいのではない。これをレベルアップというのではないか。
勉強もそうなのかもしれない。点数が振るわなかった子に「頑張ったのは認めたい」ということがある。もちろん、今までサボっていた子が、塾に来て一生懸命勉強するようになったすがたを見れば、そういう感慨を抱くのは当然すぎるくらい当然だ。でも、いつまでもそれでは何の成長にもならない。どこかの段階で、頑張ったことが点数その他の結果に結び付かなくては意味がないことを知らなくてはいけない。
結果ではなく過程を評価してほしい、という声はよく聞くけれど、それも段階の問題であって、その過程をたどったこと自体が評価される段階(勉強しなかった子が机に向かうようになったなど)なら過程を評価するのは大切だが、点数を伴わずにただ机の前にいるだけの状態が続けば、もはや過程を評価するとかいう話ではなくなる。
重ねてエラそうな言い方だが、これを成長というのだと考えているし、そのためには頑張りを見るだけではない厳しさも大切だと私自身は固く信じている。「頑張ったね」の声は大切だが、結果がない中「頑張ったね」だけでは成長はない。
外野の声はそれなりに大事だ。

