忘れるという前提を忘れる子たち

勉強

昨日は指導の心構えのような話で、「お子さんの目線に立って一緒に登っていく」という目線のことを書きました。

お子さんと同じ地平での指導
指導について考える毎日です。昨日はその中の一つとして、書店をめぐりながら教材について考えましたが、今日は指導そのものについて考えていきます。指導そのものといっても、指導のシステムや塾の運営といった外側の話ではありません。指導する上での心構え…

そこから少しずつ勉強についてのお話にシフトしていきますが、お子さんの目線、授業を受けたりする側に立ってものを見ていると、できる子とそうでない子の境界線に気づく時があります。

といっても、この境界線というのは幾重にも引かれていて、いろいろなポイントによって変わります。その中の一つという意味で、今日は書いてみたいと思います。

授業直後

学校でも塾でもどこでもいいのですが、授業を聞いた直後というのは、よほどのことがない限り皆話の内容は理解しています。

テキストや教科書、図表やプリント、そこに加えて先生の解説や板書とノートがありますから、何重にもわたって理解の補助は授業内でなされています。ですから、かなり難しい応用や、抽象的でわかりづらいテーマのようなものでない限り、授業を聞いていれば理解は8割以上成っています。

忘れてしまう

ここからが分かれ道です。頭の良しあしにあまり関係なく、日がたてばどれほど丁寧に説明されていても人間は忘れます。そこで大切になるのが復習ということになるのですが、ここをおろそかにしてしまうかどうかが、大きな分かれ目になります。

こうなると、復習をしないで忘れてしまうのだから勉強のやり方の問題だろう、とかそもそも復習しよう(イコール勉強しよう)という意志がないのが問題なのではないかなど、半ばやる気の問題、精神論のような問題になりそうな気がします。

もしくは頭が悪いからすぐ忘れてしまうんだ、のように生来の能力ないし最近この手の話題をよく聞きますが遺伝のような原因がありそうに感じることもあるかと思います。

私もそういう面は否定しないものの、だからといってそれだけとは言い切れない、少し違うところもあるのではないかと思っています。

「忘れるということ」を忘れている

上で、よほどのことがない限り最初に聞いた説明は多くの子は理解できるといいました。ところがその時に、「聞いた、わかった」で頭の中が完結してしまう子は、復習をおろそかにしがちです。そこには「いつか日がたてば人間だから忘れてしまう」という認識がありません。とにかく目の前の今「わかった」ことが全てになってしまうのです。

(一度聞いてわかっても)忘れてしまう、ということを忘れて(授業だけ聞いて満足して)いる。なんだか禅問答のような言い回しになってしまいますが、苦手な子というのは、授業のたびにこの状況になっているように感じます。

こういうと「やっぱり覚えようという気がないからじゃないか」とやる気の問題に帰着させようとする考えが出てくるかもしれません。ですが私は、これはもはや意識しているかどうかの問題ではなく、無意識の問題のように思っています。脳科学に詳しいわけではありませんから感覚でしか物は言いませんが、授業や勉強に限った話ではなく、一度聞いてわかったらそれなりけりにして小さいころから過ごしてきたからだと思っています。

無意識という言い方が適当でないとするなら、これは習慣や文化の問題です。今の世の中、その場でわかれば無理に記憶にとどめておかなくても大丈夫な場面は増えました。動画であればネット環境さえあれば同じ話は何度でも聞けますし、見ることができます。忘れてしまっても、検索すればすぐに人の名前や場所の名前など出てきます。この「覚えておかなくても大過なく過ごせる」という経験を小さいころから積んでいれば、半ば無意識に一度聞いた話で満足して復習をしないようになっても当然のように思います。

入試は許してくれない

ところが、高校入試も大学入試も、忘れることを許してくれません。忘れてもどうにかなる、という可能性すら許してくれません。

どういうことかと言いますと、入試問題は基本的に持ち込み不可、辞書などを持ってきて使うことができません。ですから、皆受験の際には必死で暗記したりするわけです。それができていないなら英文が読めない、漢字問題が解けない、社会の用語や人名が出てこない、結果不合格ということになるわけです。

いずれ記事にすると思いますが、入試問題というのは学校から受験生に対するメッセージです。「ここが読めないような学生はいらないよ」、「単語や漢字などを覚えてくる努力をしない学生はいらないよ」というようなメッセージを受験問題に巧みに込めます。特に大学受験がそうですが、作問している先生方に敬服させられることがよくあります。

もちろん時代がたつと変わってくることもあるかもしれません。「覚えてくることよりも考えることが大事だ、だから辞書は使っていいけど自分で考えた答えを出してね」というような入試が主流になる日が来るかもしれません。その時には覚えることにさほどの価値は求められないのかもしれません。ですが、今は許してくれません。そして変化の時がいつなのかは誰にもわかりません。

塾などの取り組み

やや話が大きくなってしまったので戻します。このように「忘れる」ことを忘れてしまうお子さんが多いのは皆さんよくわかっています。ですから、塾でも学校でも宿題を出します。家でもう一度やってもらって思い出すきっかけ、記憶の定着のきっかけにしてほしいと思うからです。

あるいは単語テストや漢字テストのようにテストを設け、そのために思い出しなおしてもらう機会にしようともします。

当塾でも教科書英単語や漢字などのテストを行っています。

宿題の効き目、テストの効き目

はっきり言ってしまいますが、もともと「忘れないようにする」という意識ができる子でなければ、宿題を出そうがテストを課そうが一緒です。

言い方を変えますが、意識ができる子であれば、宿題やテストは思い出しなおす機会ではなく、復習に更なる加速をつける効果すらもたらします。

一方で忘れることを忘れるタイプの子は、結局宿題をしてもまた忘れます。テストが終わればまた忘れます。結局定期テスト前になってまた一から覚えなおす結果になります。そして定期テストが終わればまた忘れます。

勢い任せで言い続けると悪口に聞こえてしまいそうになるので危ないですが、これが無意識のうちに繰り返されている、かわいそうなのは勉強する気があるのに無意識のうちに繰り返されているのが、伸びない子に多く見られます。

私にできること

私にできるのは、そして今もちょくちょく続けているのは「あなたは忘れるんだ」と言い聞かせることです。それは決してお子さんを馬鹿にする意図で言っているわけではありません。誰でもそうなるからです。

だから「自分は絶対に忘れるんだ」と自覚している子は様々なタイミングで復習します。学校の先生の話を頭でリピートできるくらい復習します。学校からの帰り道でも食事中でも、風呂やトイレの中でもします。それも勉強のことだけではありません。遊んだことやゲームのこと、なんでも復習します。だから勉強できる子は意外とゲームがうまかったり、皆がクリアしていないゲームであってもクリアしていたりします。

もしそれが難しい、無意識に忘れることを忘れるタイプのお子さんには、「絶対忘れるぞ」と警告します。もしくは過激になったら「忘れる前提で人の話を聞くな」とまで言うことがあります。勉強の偏差値や点数、順位の問題ではありません。自分を見つめて自分あるいは人間を知り、その弱さに気づいて克服できる強さを、私は商売柄勉強を通じて伝えたいと思っています。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

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