中学生の2学期は、国語の授業で古典を扱うことが多くなる。
この中で今でもよく行われるのが暗誦テストだ。1年生なら竹取物語、2年生なら枕草子や徒然草がそうだろう。
暗誦テストのコツとまではいかないが、こうすればいいのでは、というのを考えてみたい。私自身の経験も踏まえてだ。
当然だが、暗誦は先生に対して読み上げるものなので、音読する練習は大事だ。それに加えて、大事にしたほうがいいのは、現代語訳との対比だ。
現代語と古文は、似ているようで違う言語だと思ったほうがいい。まずは現代語から話の内容を整理し、それと対応させるように古文を音読するのだ。理想を言えば、古文を音読しながら、現代語の意味を頭に浮かべられればなおよいと思う。
「春はあけぼの」と声に出しながら、「春は明け方が素晴らしい」という意味を思い浮かべるのだ。細かい助詞(「の」や「など」)などが覚えにくい時は「この『の』は、現代語の『が』のことか」と対応させながら読むこともしなくてはいけない。
暗誦は古来からの勉強法だ。古来、学問所などでは暗誦が勉強の中心にあった。もちろん書物の中身に関する講義や議論も行われるが、それらはすべて中身を覚えたうえで行われる。
なぜこのような方法がとられたのかは、昔の人間ではないから知らないけれども、このようにして勉強していると、しぜん「できる人間」と「できない人間」に振り分けられると思う。それは、暗記が得意か苦手か、というような単純な分類ではない。
ここからが私の言いたいことの本筋で、ここでいう「できない人間」というのは、暗記そのものを目的とした勉強しかできない人間、暗記せよと言われれば暗記しかしない人間のことだと思っている。できる人は、上述したような暗記や暗誦をしながら中身を読む。中身を学ぶ。読みながら考えると、中身がわかる。中身がわかれば効率よく覚えられる。文面ではなく中身を覚えているからだ。中身を覚えれば、しぜん中身に関する理解が成る。暗誦ののちの議論や講義の場になっても、より深く大きな学びを得られることだろう。
ここで暗記だけを勉強としていると、中身にまで理解が追い付かない。議論には参加できず、講義も入っては来ないだろう。
古代中国の科挙(官吏の登用試験)では、四書五経を暗記したうえで臨み、さらに口頭で中に書かれている文の内容や意義を問われたらしい、とどこかで聞いたことがある。登用する側も、学問の本質をわかっていたのだろう。暗記プラス理解を伴った学問ができているかを問うた、本質的な試験だと思う。
勉強法などの方法論にはあまり関心を示さない私だが、この学問の本質だけは絶対に大事にしなくてはいけないと思っている。


