社会が伸びない原因「無関心」

日々の考えあれこれ

塾が校区内にある立花中学校では、今週からトライやるウィーク(職業体験)が始まっている。

仕事を知ることで学べることが多いのは間違いないことだから、社会勉強という意味でも中学2年生には大いに学んできてほしいと心から思っている。

一方の話として、最近は社会の成績が伸び悩む子が多いように思う。英語や数学は得意でいい点も取れるけれども、社会が・・・となるのだ。

理由はいろいろ考えられるのかもしれないが、私はその一つに「社会への無知・無関心」があると思っている。これは教科としての社会ではない。英語で言うところのソサエティ、人の集まりでできる社会のことだ。昔から言われていることだが、子どもたちはニュースを見ない。新聞も読まない。ウクライナやガザがどこにあるのかもわからない。

ただ、昔だって若者はニュースを見なかったじゃないかと言われるかもしれないが、昔は娯楽の中心がテレビだった。リビングにテレビがあっても画面は一つなので、いやいやながらニュースを見ざるを得ない時間があった。だから多少なりともニュースワードは皆知っていた。意味は分からなくとも、共通して皆が知っているニュースがあった。

今は違う。一人一人がインターネット経由で、自分の見たいものだけ見られるようになった。テレビ世代であってもそうだもの、今だって興味のないニュースを見る子は少ない。そこにきて、いやいやながら見させられる機会すらなくなるのだから、ニュースについて何も知らない子は確実に増える。

そうするとどうなるか。ここでしたいのは社会という教科の話だからそちらに寄せていくと、社会の授業で見聞きする情報が自分の知識の貯蓄と結びつかない。知識の貯蓄のある子は、それを結びつけることができる。アメリカの話を聞けばトランプ大統領の顔が浮かぶ、アフリカの話を聞けば、アフリカのニュース映像やアフリカ大陸の形まで頭に浮かぶ。これができる子は、社会の授業の吞み込みが桁違いに早い。何も知らない子にしてみれば、やれ卑弥呼だ、やれ蘇我入鹿だといわれても、「ややこしい漢字の羅列」でしかあるまい。

多くの子が勘違いしていることだが、小学校や中学校で勉強すること、つまり義務教育の内容は、生活に根付いている部分が大きい。勉強していることと日常生活が別物であることは少ないのだ。言い過ぎは承知だが、「勉強は生きるうえで役に立たない」と主張する人は、はっきり言うと生活に対する視野が狭すぎる。

社会の勉強の意義まで話す気は今日はないが、無関心をなくさない限り、社会の勉強は苦行だと思う。ほとんどが目に見えない現象、人物名、用語で占められているのだもの。興味関心なしにこれらを目の当たりにしても、何も考えられないと思う。

生きている今、という時代や周りの環境をもっと教えなければいけない。たかが塾講師であるが、私のおつとめの一つであるのかもしれない。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

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