近畿でも梅雨明けが発表された。途端に昼間が暑くなり、いよいよ夏かと思わずにはいられない。
最近、YouTubeによく「地頭」などにまつわる動画、たぶん塾の先生が作ったと思われる動画が上がってくるようになった。
地頭というのは何かと塾などの教育関連で話題になりやすい言葉であって、いわゆる勉強などにとどまらない頭の良さを表すことが多い。素頭(すあたま)という表現をした人もかつていた。
なぜこういうことが取り上げられるかというと、一つは塾側の悲鳴があるのだと思う。地頭が悪い子というのは確かに一定数いる。IQテストなどの統計上、必ず発生するからだ。にもかかわらず、本人や親にはそういう認識がない。だから「頑張ってるのにこの子の成績が上がらない」と言われる機会が多く、かといって「おたくのお子さんは地頭が悪いですからね」とは言えない。頭の良しあしは病気ではないので見た目ではわからないし、診断もできない。強硬に主張して「だったらお子さんのIQテスト受けてみてくださいよ」なんて言えるわけがない。
だから匿名でSNSやYouTubeなどを使って知ってもらおうと思うのだろう。
私個人は、頭の良し悪しが人生を決めるとは決して思わないが、いわゆる地頭の悪い子にとって過ごしにくい時代が進んでいるなとは感じる。これは発達障害の認知が進んだことにも言えるのかもしれないが、昔は人口が多く、同年代の人数が数多くいて、そうすると一定割合で地頭の悪い子や発達障害と今日いわれるような人がいるのは間違いなくとも、その数も多くなる。
そうすると、自然とそういった人たちであっても居場所が存在した。それはいわゆる就労支援や放課後等デイサービスなどの障碍者福祉というような居場所ではなく、地頭の悪い人にとっても役割が与えられるコミュニティや仕事場が存在したという意味だ。例えば知的労働の類は難しくても、単純作業に適性を持つ人は多いので、そういった作業などを担当してもらうような場合だ。そしてそういう単純作業ができる人というのはいろいろな場所で必要とされている。さらにそういう人の数が多かったために他の人にとっても珍しい存在ではないから、皆何とも思わずに一緒に過ごしてきた。私も小中学校時代の友達はそういう子が多かったし、彼らと過ごす時間、遊んだ時間は何より楽しかった。
今はなかなかそれが厳しくなってきている。これら昔はあった状況が180度ひっくり返りつつあるからだ。これについては日を改めて書きたい。

