先週はノーベル賞の発表が続いた。化学賞では日本人の受賞者もいた(硤合憲三さん)。
今回の話ではないが20年以上前に何年か続いて受賞者が続いた年があった。その時に受賞した人が相次いで記者会見などで口にしていたのが「基礎の大切さ」だった。
たいていは大学教授が受賞するので基礎研究などに関する研究予算の話になるのだが、日本では基礎研究に予算が割かれない傾向が強く、そのせいで研究者が少なくなったりしていくのが問題だという話だった。
そして、その基礎研究を粘り強く続けていった結果がノーベル賞につながった。ノーベル賞だけが偉いわけではないだろうが、少なくとも世界中の多くの研究者をうならせ認めさせ、世のため人のためになるきっかけを作り上げた。
これは勉強でも同じことが言えて、ノーベル賞のような大きなこととは比べられないが、基礎の部分がぐらつくと、入試問題をいくら解いても結果にはつながらない。その前段階で英語なら単語熟語や英文法、英文解釈のような読み方のルールをしこたま築き上げておかないと、入試に合格するような学力は身につかない。
受験勉強の時期、入試問題などを目にする機会は受験学年になると増える。その際に最初に面食らうのは、自分自身の基礎の足りなさになる。「俺はどれだけ単語わかってないねん」「俺はどれほど英語が読めないんや」と大学受験生はなりがちだし、「もう一度勉強し直さないと解けないよ」「忘れてることが多すぎる」と高校受験生はなる。
私がこの時期、受験生に対して投げかけ続けるのは「どれほど自分がわかっていないか」という点だ。そんなの春先からでもやるでしょ、と思われるかもしれないが、よほどしっかりした考えを持っている一握りを除いて、春先や夏休みに言われてもしみてこない。結局秋口になったあたりで「ヤバい」と思うようになるのが大半の受験生だ。
春先や夏休みに伝え続けるのは、今の時期に焦燥感を抱かせるためでもある。「あの時から言われていた」と気づいてもらうための種まきでもある。本当なら春からその心を持って必死にやってくれるのが理想なのは言うまでもないし、私だってできるならそうなってほしい。あの時期に「まだ大丈夫でしょ」と思っている子の目先を変えるのは容易なことではない。だからせめて、秋に気づきを実らせるための種はしつこくまき続けている。
話がだいぶずれてしまったが、ここで取り戻していくための土台になるのが他ならぬ「基礎」だ。
基礎とは何かを話し始めてしまったら終わりが見えなくなるので今日はしないが、塾内でもしつこくまき続けてきた基礎の種が少しずつではあるものの芽吹こうとしている子がいる。中学生であればそれは中間試験の結果でも表れ始めている。
冒頭のノーベル賞受賞者の話だが、基礎研究は「長期間にわたる」「結果が見えづらい」「すぐに何か利益になるかがわからない」などから軽視されがちだ。だから予算が付きにくいし、周りの人からの理解も得られにくいのだろう。基礎というもののつらいところだ。実は勉強も一緒で、基礎を築く期間は成績も目に見えて上がりづらいし、何より時間がかかるのでしびれを切らして子供が根負けしたり親が塾をやめさせてしまったりという結果にもなりかねない。要点を押さえて手早く効率的にというわけにはどうしても行かない。
そして休みをいただいた間に考えていたこれからの構想だが、この「基礎」をお子さんを全面的にお預かりしながら塾で鍛えていく、今できていないわけでは決してないが、そんな学習空間を改めてもう一度作り直したいと思いを新たにしている。
