昨日の日記で、ある高3生の話を書いたが、その中で私は、正直にやっていくことを中心に据えたいという趣旨のことを書いた。
他にもいろいろな経験はしたが、結局ふたを開ければ、正直な気持ちで接した子たちはおおむねうまくいった。受験は時の運の要素もあるので、受験結果という意味では100%うまくいったわけではないものの、その後の努力で花開いていた。
逆に言うと、「うまいことを言って」やってきた子は、なかなかうまくいかなかったと思っている。何の根拠もなく「大丈夫、頑張っていこう!」のようなエールだけではうまくいかなかった。この経験があって、今私は「そのままやってもよくて70点取れればいい方」「大して努力もしてないのに悔し泣きなんか見飽きた」の類をはっきり言うスタイルに転換した。
ずいぶん反発もあったと思う。「あんな言い方ないじゃないか」というようなことを言われたこともある。ただ、今の私は「思った通りそのままお話ししていますので」「事実ですので」の一言で突っぱねられるようになった。
今、このスタンスではっきり言う。できない子は総じて努力不足が大きな原因だ。そして、先の高3生のエピソードでは直接触れてはいないのだが、努力に対する覚悟不足も大きな原因だ。
例えば関西学院に行くなら、かなりの努力が必要だ。神戸大学に行くなら、それと同等以上の努力を、倍以上に多い科目数において発揮せねばならない。ただ、それはどこまで言っても言葉で伝えられる限度がある。だから「めちゃくちゃ努力がいるよ」と言っても、「はい、わかってます」と返事はできるが、いざ手を付けだすと量も質も、はたまたスピードに至るまで、想定をはるかに超える現実に直面する。まだ直面できるなら救いはある。方向転換を考えるきっかけにもできるからだ。だが多くの子はわからないまま「自分なりに」努力しているつもりなので、私のような他人から「全然足らんで」と言われようものなら、人格まで否定されたかのような顔をする。家族に訴えてクレームにもなる。たとえデータや経験則をすべて添え、理路整然と伝えてもだ。
そのうえで加えてはっきり言い切る。この手のデータや指導者の経験則(どこの塾の先生でもいいし、学校の先生でもいい)を目にしてもなお、我が子の「未知なる可能性」なるものに対して盲目的な保護者の場合、99.9%うまくいっていない(0と100は存在しないのが持論なので、あえて99.9%と言っておくが、本心は100%だ)。
私は、データと肌感覚をもとに「顔占い」と称して合格可能性などについて話をするが、開塾以来「この子はいける、合格できる」と確信した子や保護者には、はっきり伝えてきた。そしてそれは100%当たる。「無理だと思う」と伝えてきたときも、残念ながら当たる。だからこそ、3年生の最終決定の瞬間に「無理だと思う」を言わなくていいように日々の指導に当たっている。
まだ少し続きます。

