神戸大学で、「志」特別選抜入試という総合型選抜の一つをやめるらしい。
簡単に言うと、大学入学共通テストを課さず、書類審査、模擬講義とレポート、総合問題、面接で選抜を行う試験方式だ。10年弱の間、各学部で若干名の募集をこの枠で行ってきた。
詳しくは神戸大学ニュースネットの記事に譲るけれども、その中で少し気になる記述を見つけた。
「一方で、一部の教員からは、実施のための負担が大きい割に定員も少なく、効果が上がっているのか、という声も上がっていた。」という部分だ。
確かに、上にも書いたが書類審査に模擬講義とレポートに総合問題、おまけに面接もあるとなると、受験生はもちろん、教員の方の負担が非常に大きいのはよくわかる。だからこの言い分、ウソではないのは当然わかっているが、それでもなお、この前段部分は廃止する上での建前ないし言い訳のようなものの一つだと思っていて、本音はその後ろにある「定員も少なく」「効果が上がっているのか」という部分にあると思っている。
もっと言うと、これは推測でしかないと断ったうえで言うが、記事にある一部の教員は「この選抜で入学した学生の入学後の成績がよくなかった」と考えているのではないか、と思っている。そして「一部の教員」と記事では言っているが、実際は相当数の先生方がそう考えているのではないかとも思っている。それもあらゆる学部で。
出身大学だし、あまり悪口のようなことは言いたくないのだが、そもそもの間違いは「定員が少なすぎること」と、「共通テストを課さない方式」、そしてもう一つの「大きな食い違い」にあったのではないかと推測する。
まず前者についてだが、この選抜方式の成否は、一にも二にも「これで入学した学生が素晴らしい人材であること」にかかっている。でも、例えば法学部を例にとると、定員は総数で180人だが、そのうち志特別選抜の枠はたった3人、定員の60分の1で2%に満たない。この3人でほかの一般選抜や学校推薦で入学した177人と成績その他で競って、彼ら彼女らと同等以上の実績や活躍を見せてくれるか、というにはあまりにも多勢に無勢が過ぎたのではないか。効果の測定には少しばかり無理があるように感じる。
後者の共通テストだが、このテストに対する評価はいったんわきに置いて、共通テスト抜きでそもそも学力の担保をどこに置くつもりだったのかは疑問が残る。学力だけで選抜しないという建前は立派だと思うし、尊重もしたい気持ちはやまやまだが、結局蓋を開けてみれば全然ダメ。何年か粘って続けてみたけれど改善の見込みなし、という判断に至ったのだろう。入学前に合格者だけが集まって、何か勉強会などの集まりは持っているらしいが、それでも年内(12月まで)で合格が決まってしまったら、気持ちの半ば以上は浮かれてしまうだろうし、勉強などほぼそっちのけになってしまう人たちが少なからず現れるのも無理からぬところだろう。
そして、これが一番言いたかったことになるのだが、大学側の最大の過ち(敢えてこの言い方にさせてほしい)、受験生側の意図と大学側の意図がずれていたという面だ。大学が意図した「求めたい人材」と、受験生側の「受験に向かわせる動機付け」が完全に食い違ったと思えて仕方ない。
すなわち、この手の特殊な選抜方法を「おいしい抜け道」と考える層が受験生にあまりにも多かったのではないかということだ。塾などでもそういう指導をするところはあるようだ。実際、廃止にはなるものの、原因は志願者が少なかったからではないだろう。事実倍率はそこそこ高く、受験者の絶対数はもちろん少ないものの、一般選抜以上の競争倍率になる学部学科もあったくらいだ。ただ、「共通テストや二次試験という、英数国理社の勉強を回避できる入試方法がある」という一面に飛びついた層は相当数いたのではないだろうか。失礼な言い方は承知の上だが、「おいしい」で受けて、たまたま滑り込めた学生が、その後に覚醒して目覚ましい実績を上げる可能性は相当低かったろうと思う。
長々いろいろなことを言ったが、関学などの私立大学が学力回帰に舵を切ろうとしている今、今回はたまたま神戸大学のニュースがあったので拾ってみたが、国立大学もいろいろと考え直す機会が来るのかもしれない。今後の推移を見守りながら、塾生たちにとって何が最適なのかを常に模索しながら指導に当たりたいと思う。

