英語長文の授業を高3生にしていた時の話だが、昨今の英語長文、特に私大の英語に顕著だが、複雑な構文などが多用された難解な文章が減っている。英語コミュニケーション(高校の科目)の教科書のような、ところどころ難しい文はあるものの、全体的に構造を把握するのはさほど難しくない文章だ。
注意が必要なのは、だからといって英語の試験が簡単になったわけではない、ということ。問題なのは中身、英文の内容にある。
そこにある話題は、社会問題のような話題、科学的な話題、多少抽象的で硬質な哲学的話題など、「訳せたけれども何が書いてあるかわからない」ものが多くなっている。
そこで大切になるのは「教養」だ。といっても、大学の教養科目などで学ぶようなものでなくてもいい。新聞やニュースなどに日常的に触れていれば、何となくでも理解できる項目で十分。社会的な話題で言えば、貧困、食糧難、戦争や紛争、ネット社会のような現在の問題、宗教や歴史といった時代をまたぐ問題がそうだし、科学的な話題で言えば、感染症や食べ物など健康の問題、温暖化や砂漠化など環境の問題がそうだ。ニュースに触れ続けることで得られる感覚を養うことで、英文はグッと読みやすくなる。特に英語の問題なので、文章を書いているのはほとんどが外国人だから、日本だけにとどまらない問題に対する意識の有無がものを言うことも多い。
だから私も、英文をただ訳すだけでは足りず、そこから得られる知識や教養、さらにはそれらがあることによって、英文がいかに読みやすくなるかまでをも伝えていかなくてはいけない。予備知識、背景知識の有無が英語の試験、特に長文読解においては重要であることをしつこくしつこく伝え続けることが必要だと考えている。
そして、それは試験を突破するだけにとどまらない。社会生活を営む上でも有用だ。何より教養の有無は、話の理解をものすごく早められる。回りくどく説明するよりも、一言であっさりと互いの理解がなる。

改めて、教養はいろんな意味で便利だ。

