2024年12月11日 基礎は変わらぬ基本動作の中に

中学生

勉強でもスポーツでも何でもそうだが、指導者であれその道の一流人であれ、口をそろえて言うのが「基礎」というもの。もちろん私もそれに対して異論は一切ない。

ただ、困ったことが一つあって、この「基礎」というもの、目に見えることがないのだ。だから皆口々に「基礎」というものの、ついぞその「基礎」なるものにお目にかかれることがない。

では、基礎とは一体何なのか。これは「見えないもの」だということを認識する必要がある、と私は考えることにしている。

勉強に話を寄せてしまう。勉強における基礎、というと英単語や漢字、簡単な問題などの「コツコツ」に集約されることが多いように見受けられる。もちろん、コツコツ努力することが基礎の習得に大いに役立つことに疑いの余地はなかろう。

ただ、私の思う基礎というのは少し違う。基礎というのは、スポーツで例えれば体の動きの一連の流れの中に存在すると思っている。野球選手がバットを振る動作、水泳選手が水をかき、水を蹴る動作のように、スポーツをするうえで皆が当たり前にする動作の中に存在する。素人であってもバットは振れるし、ラケットは振れる。ただ、基礎が身についている人の動作は、いつでもどんな時でも規則正しく乱れない。

バットを握る。構える。テークバックをとる。足を踏み出す、腰を回してバットを出す。すべての動作の中に隠されたものこそ、基礎だと思う。だからプロ野球選手は我々素人がバッティングセンターでバットを振るのとは違う、一本筋の通った動作をシーズン通して続けられるのだろう。

勉強ではどうだろう。ただ問題を解くだけなら、簡単な問題であれば多くの人ができる。基礎を身に着けた人間は違う。数学を例にとろう。何を聞いている問題か把握する。文章を見る。図形を見る。一瞥しただけで等しい角度がわかる。合同な図形がわかる。それを足掛かりにどの角度が求められるか、どの辺の長さが求められるかわかる。どんな定理が使えるかわかる。それはパターンから学ぶものでもあるし、パターンだけで身につくものでもない。日ごろから基本動作とでもいうべき姿勢を崩さずに問題に取り組んでいると見えてくるものなのだ。

なまじっか中学数学はパターンでどうにかなる問題が多いせいで、ここを誤解してしまう。パターン暗記は、基礎の習得とは似ても似つかぬ紛い物だ。すべての問題に際して、単元も何もかも違う問題であっても、取り組むときに取るべき考えの流れや、目線の動き、式の書き方に至るまで一本の芯が通った基本動作が取れている人こそ、「基礎」がわかっている人といえよう。

そしてその動作は目に見える形で示しづらい。ましてや言語化して説明できる類のものとも違う。日々の中でうんざりするほど同じ取り組み方を実践し続けた人にのみ、天から降ってくるものだと思っている。

とりとめがなくなってしまった。かように「基礎」とは大切であるにもかかわらず見えづらい。私だって言語化して伝えられる範囲には限りがある。だからこそ、普段の指導の中で、その動きを伝えたい。ちょうど武道の師範が同じ動きを弟子たちに日夜伝え続けるように。それこそが私の目指す「勉強道」の一つの形だと思っている。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

お問い合わせはこちらまで

タイトルとURLをコピーしました