学習指導に限った話ではないのかもしれないが、先輩や師匠、教育係などが後進に指導する際、大切になるのは、「考え方、動きのコピー」にあると思っている。
やや大げさなきらいはあれど、私自身は子供たちに「自分はこうする」という脳みその中身をコピーすることが意識の中にある。
「俺はこうする」、「私のころはこうしていた」などと伝えるのは、ややもすると今の時代にはそぐわないのかもしれない。それでも私がそうしたことを頭において指導するのには、時代に対するとらえ方がやや異なっている面があるのかもしれないと思っている。
塾などに限らず、指導の現場で「時代に合わない」という言い方をする際、多くは指導する側の問題という文脈で語られがちだ。もちろんそういう面が必要なことはあるだろう。暴力を用いる指導はいけない、などはその一つと言って良いかもしれない。
ただ、私が考えたい「時代」というのは、指導の受け手側、私の場合は子供たち、会社なら後輩、スポーツなら現役の選手たちの側にゆだねられるものだと思っている。時代をつくるのは、指導を受けた人たちだ。指導者の側がいたずらに時代を先取りしたかのように先回りして見せるような真似が本当に必要か、という疑問は常に抱いている。受けた指導の中から必要な部分は活かし、かつ時代の変化に合わせてアレンジしていくのは、受け手側の責務だと思っている。
もちろん先に挙げた暴力などのような、伝え方の問題は改められるべき部分が多々あろう。けれども内容面については無理をしてアップデートする必要は薄いと思っている。あくまでも先達の義務はかつての経験や成功の道筋を伝えることであって、不必要に未来予想をしていっても、血の通った話にはならないと思っている。教わった内容や、現実に未来に起きていく出来事に対応して血を通わせていくのは、次世代の責務だ。先達の知識が時代にそぐわないと思えば、次世代の人たちは勝手にアレンジしていく。指導する世代の人間は、そのアップデートの素地を作り、次世代がそれを実践してくれることを信じるだけだ。
以上、あまり皆が言わない考え方かもしれないが、次世代に対して不要に気を使ったりやさしくしたり、あるいは先回りして考えてあげるというのは、あくまで教える側のエゴ、あるいは保身だと思っている。経験や知識をまずは伝え、それを時代に合わせてアップデートしていくのは次世代の責務だ。そう信じて、まずは知識の、脳みそのコピーにまい進したい。

