受験に限った話ではないのかもしれないが、ともかく今は情報が多すぎる。
受験の話題、とりわけ大学受験界隈の話題は特にそんな傾向が強い。
もちろん、情報が多いことに価値がないとは言わない。
情報が「多すぎる」ことの弊害をわたしは言いたいのだ。
とあるYoutube
大学受験用の参考書など、受験情報をたくさん紹介しているYoutubeチャンネルを見ていた時のこと。
「夏休みに終わらせたい参考書」と「夏休みにやってたらまずい参考書」を紹介する動画(それぞれ別の動画)の双方に同じ数学の参考書が紹介されていたのだ。よく見ると投稿した時期がほぼ同じ。自分たちの中で矛盾した情報を、しかも同時期に発信していたのだ。
「見てる人、混乱するんちゃうかな?」と私は率直に感じるのだが…。
情報の過多がもたらすもの
情報の精度の低下だ。
上で話題にしたYoutubeチャンネルにしても、動画の詳細は長くなるから話せないが、ちゃんと見れば、言いたいことはわかるのだ。ただ、同じように参考書や勉強法などの受験情報を紹介するYoutubeチャンネルなどは数多いので、こちらも負けじと次から次へと考え付いた内容をアップした結果、こういう矛盾したような場面が表れるのではないかと思っている。情報が多くなればなるほど、それはむしろ競争といっていい、情報は文字通り粗製乱造される。数学のチャート式など、定番中の定番ほどやり玉に挙げられるので、今、私の目には、チャート式は素晴らしい参考書なのか宝の持ち腐れなのか、評価が相半ばしているようにしか見えない。
ただ、それはあくまでも発信者側の都合。受け取る側にとってみれば矛盾した、あるいは誤解を招くような情報は害になってしまいかねない。
かように、情報があふれるように多いことは、一見有益に見えて、その実ちっともありがたくないのだ。あるのは情報の「豊富」さではなく「重複」でしかない。テレビを見てもわかるだろう。朝からワイドショーを3つも4つもやっているが、扱う話題は全部同じ。今であれば、大谷翔平か猛暑か某中古車販売店の不祥事しかない。
情報ばかり集めても成績は上がりません
簡単な話。成績を上げる、あるいは志望校に合格するために必要なのは「勉強すること」。情報を集めることではない。もちろん、一切の情報をシャットアウトする必要なんてない。自分に必要な情報を取捨選択していけばいい。参考書であれば、レベルなどの情報さえ知ることができれば、後は自分で書店に出向いて手に取ればいい。必要ならば買えばいい。買ったならその本と心中する覚悟でやりこむのだ。
真の情弱
情報に流される人に多いのだが、せっかく選んだ参考書を「Youtuberの〇〇が『おススメしない』って言ってたから」といってやるのをやめてしまう生徒がいる。そして、そのYoutuberがおすすめした参考書に乗り換えたのもつかの間、新たに見始めた別のYoutuberに「あの参考書は・・・」と言われて、以下ループ。
受験時期には中途半端に手を付けただけで、途中からはーいや大抵は序盤からーきれいな参考書の山になってしまい、何も実力なんてついていない自分だけが一人残される。そんな運命をたどる受験生のなんと多いことか。
情報弱者、情弱というと「情報を知らない」意味で使われることが多いが、私はこのタイプの流される人間の方こそよっぽど情弱だと思うが如何。