私的アウトプット論

勉強あれこれ

勉強、とりわけ受験勉強の場合、その勉強の一番のキモになるのは、学んだ内容をすぐに引き出せるように引き出しを準備し、数を増やし、中身を整理して取り出しやすくする作業になる。

例えば英語構文を勉強するうえで学んだ文法項目などの見極め方は、入試における文法問題で出題されることがある。長文を読んだ際に訳していく過程でも、入試問題のようにきれいに訳す必要はなかったとしても、文法や構文知識がある程度下敷きになっていないと、意味そのものが把握できない。

文法などの勉強をしているとき、英文を読んでいるとき、「あ、これは○○だからこのように訳さないといけないな」と瞬時に引き出しから取り出せない限り、実戦で使える知識にはなれない。入試問題では、今まで授業をしながら伝えてきた知識が束になって、何の予告もなく襲い掛かってくるのだから、聞き知っている内容はしっかり復習して、いつ聞かれても取り出せる知識になっている必要がある。

これらは昨日、高3生の塾生にした説教。

これとは別に私は、「知識は使ってなんぼ」という考えが子どものころからある。と言っても、仕事や実生活で使う、というような実利的なものとは限らない。模試やテストで実践するというものでもない。学校から帰ってきてすぐ、家族との会話で披露する、ニュース番組などを見ているときに「あ、これ〇〇のことや、前に学校で先生が言ってた話や」といったように、聞き知った内容を、すぐに勉強の場以外で使おうとすることだ。

勉強でも「インプットだけではなくアウトプットを」というのがよく言われるが、私の思うアウトプットとは、勉強の場面だけで発揮するのでは足りない。模試や問題演習の場で発揮するだけではいけないのだ。勉強は、高校で習うような幾分か高度なものはともかく、小中学校で習う義務教育範囲の内容は、生きていくうえである程度必要なものが多い。だからこそ、生活の中で使っていくことが真のアウトプットだと思う。

小学生時代(4,5年生くらいだったと思う)の経験だが、同級生で同じ班になった女の子がいた。彼女はとても賢く、学年ナンバーワンだったのではないかと皆が思うほどだった。その子たちと社会の授業で「町の紹介地図を作る」というものがあり、学校が終わった後に班のみんなで外に集まり、近所の商店などを訪ねながら地図の下書きを作っていた。途中で件の女の子が家に電話する用事ができたらしく、携帯電話のなかった当時、公衆電話に行くというので、私たちは彼女の電話が終わるのを待っていた。

その時、晴れているのに突然雨が降り出した。いわゆる天気雨というやつだ。彼女は電話しながらそれに気づいて驚き、電話で「あ、お母さん、『狐の嫁入り』や」と言った。当然周りの子はポカンとした表情。「何それ?」と一人の子が言うので、たまたま私は知っていたから「天気雨のことをことわざで『狐の嫁入り』っていうのは聞いたことあるけど、使ってるのは初めて見た」と答えた。「使う子いるんや」とは当時の私の率直な感想で、「やっぱ○○さん(その子の名前)すごいわ」と、家に帰った私はすぐに母にそのことを話した。

ことわざの類もそうだが、知っているだけでなく、使って初めて知識には息吹が与えられる。それは勉強に限らない、生活のあらゆる面において生きている。これが私の考えるアウトプットだ。そうして自分の中だけの知識に息吹が与えられると、やや迂遠だが受験でも使えるようになると思う。

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