授業のライブ感、話芸との共通点

塾の授業あれこれ

授業をしていると、当然のことだが毎年同じ話を繰り返すことになる。同じ単元を教え続けるのだもの、変わるのは受け手である子供たちだけであって、こちらとしては同じ話を繰り返すことになる。それはさぞかし退屈なことだろうと思うが、そんなことはない。

毎年同じ内容を教え続けると、教える側には工夫が生まれる。新しい気づきが生まれる。同じ単元、同じ項目であったとしてもだ。これをただ単にテキスト棒読みで進めるだけであれば、何も変わらない毎年、といいうことになるだろうが。

これはある意味古典落語の噺(はなし)家と似ている。噺家は同じ古典落語のネタを何度も稽古し、寄席や独演会などで年に何回も披露する。それが何度も繰り返されるうちに芸が研ぎ澄まされ、登場人物の演じ方にも工夫が生まれ、いつしか「〇〇(ネタ名)と言えば〇〇亭△△」のように至高の名人芸に昇華する。歌舞伎などの伝統芸能もそうだし、舞台芸術などもそうだろう。

私も彼ら名人芸には程遠いだろうが、同じ話をするうちに気づくことがあり、「あ、この化学反応はこんな比喩で説明したら面白そう」といった具合になることもあり、受け手の子供によってはハマることがある。気をよくしていたら次の年には受けがいまいちなんてこともあるが。

小学生の授業でよくあることだが、漢字を教えるだけでは物足りず、漢字の意味や学校では習わない訓読みまで伝えることもある。訓読みは字の意味をあらわすからだ。興味を持って「あ、〇〇のことですか?」といい質問が飛んでさらに話が弾むこともある。これは80年代の漫才ブームの様相で、当時大人気だった横山やすし・西川きよしなどは、漫才ライブなどで漫才をする際、10分程度のネタだった台本なのに、アドリブが飛び出し続けて、結果台本の内容は原形をとどめず、45分くらいしゃべり続けたらしい。だから彼らの台本は漫才作家が書きたがらなかったとか(笑)。かようなライブ感は、直接授業で指導しなくては味わえない。毎年同じ内容を授業していても、中身は毎年微妙にあるいは大幅に異なったものになるのだ。

同じ内容である程度質の高い授業を受けさせたければ、昨今流行りの映像教材に分がある。実際にそれらを駆使して授業を実施する塾もあるし、それを私は絶対に否定しない。ただ私は、やはり毎年生身の塾生と面と向かいながら、自分の授業を噺家の話芸よろしくいつまでも磨き上げ続けていきたいと心から思っている。それは私にとって、「常に現時点のベストを提供したい」という気持ちの表れでもある。

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