この話も続けること4回目になってしまった。
最後は変えられるものを変える努力をすることについて考えたい。
私個人は変えられるものを「今の自分」と考えている。それができることによって不確実な未来に一定の方向を与えることもできると思う。
では今の自分をどう変えるか。そこにこそ私が追及する「強さ」が隠されているし、必要ともされるし、身につけることもできるのだと思う。
自分を変えるための第一歩は「過去に意味付けをして受け入れること」。そしてそこから学びえたことを今の自分に転用して活かすことだ。
例えば「単語が覚えられなかった」過去は「英単語を覚えることのできない弱い自分」と意味付けをし、「何が何でも覚える」、「どんな手を使っても覚える」、「人に力を借りてでも覚える」と、過去の自分を克服して新しい「やったらできた自分」を今の自分に変えるのだ。
そこにあるのは、「変えられないもの」に対して目をつぶる姿勢ではない。「変えられないもの」に対してあきらめを抱くことでもない。「変えられないもの」に意味を見出し、学びを得て「変えられるもの」を変える原動力にするのだ。
それこそ、多くの塾や教育産業に携わる人たちが書いている「考え方」「取り組み方」の本質だと思っている。そこに美辞麗句は要らない。耳に心地いい言葉は要らない。科学的な言い方を使った大上段からの情報も要らない。地道に過去を見つめ、地道に今を見つめ、地道に今を変える心だけ持てばいい。
そして、それができるのはしつこいけれども「自分だけ」だ。他人は教育者であろうが親であろうが変えられない。過去と他人は変えられないのだ。我々他人にできるのは、「せめて彼らが自分で変わるためのヒントをちりばめ、選択できる状態を用意する」くらいしかできない。
こんな言い方をすると我々なんて無力な存在だと思ってしまうが、これを一生懸命できる存在こそ、親であり教師であり、僭越ながら我々塾屋だと思っている。
これからも、そのヒントになりそうなものを乱れ撃つようにちりばめ、与え続けていきたい。勉強だけではない、強い人間に変われるチャンスをつかんでくれたら、という一縷の思いを込めて。