小中高校生の自殺者が過去最多であった、というニュースがあった。
自ら命を絶つというのは、何よりまず悲しい出来事に違いないのだが、専門家やヤフーのコメントでは「何が原因か」という話題であふれかえっている。
私も私なりに原因は考えてみるが、私は仕事柄「教育の在り方」を考えざるを得ない。誰かがコメントに書いていたが、怒らない叱らない教育あるいは育児のせいで、子どもたちのメンタルが弱っているのではないかという考え方があった。
私もある程度賛成だ。よく聞く話だが、先生に怒られると学校に行かなくなってしまう。あるいは親からクレームが入る。そのせいで誰もかれもが子どもに対して委縮してしまうという類の話だ。
私は往々たる「叱らない教育」に対する批判をしたいわけでもないし、厳しい教育が大事だ、というような教育論を大上段から振りかざしたいわけでもない。あまりに腫れ物に触るようにしても、子どもにとっては気の毒にしか感じられない、ということを言いたいだけだ。
子どもが小さいうちは、周りが優しくしていても生きていけるだろう。ともすれば「気持ちよく」生きられるといってもよかろう。大人の側もそうであって、学校の先生なら6年間ないしは3年間無難に過ごさせれば、クレームもなく送り出してしまえる。塾でも何でも、子どもにかかわる仕事に従事する人は皆そうだろう。
そうして皆社会に放り出される。最近は「Z世代の接し方」のような話が出てくるくらい企業でも気を遣う事例が多いようで、社内でも叱られたり厳しく指導される場面は減ってきているそうだ。
でも、ここまでの話は全て内側の話でしかない。例えば企業なら取引先、商店であればお客のような外部の人間にはそんなもの通用しない。相手がZ世代だかX世代だか、そんなもの知ったことではない。ミスがあればクレームが入る。取引先をしくじれば会社に損害ももたらす。
ミスをしてはいけない、と言っているのではない。そんな場面になって、今まで腫れ物に触るように扱われてきた人間が耐えられるのだろうか、私にははなはだ疑問だと言いたいだけだ。立ち直れないような傷に感じてしまうと、そんな時こそ思い余って命を絶つような真似に走りやしないか。あるいは肥大化した自己愛意識のようなものにとらわれた挙句に、他人に対して刃を向けやしないか。それをこそ心配するのだ。
話が何やら大きくなってしまったのでここで話はやめる。結局のところ、私が考えるのは「私はどう子どもたちに接するか」という一事に尽きる。私は今の間から少しずつでも傷つく経験をさせたいと思っている。それは何もいじめのように人格を攻撃したりすることではない。間違いがあれば、それを間違いだと正面切って伝えてわからせること、大人になれば叱られるだけではすまないぞということを厳しくとも伝えることだと思っている。もちろん塾生たちへの惜しみない愛情を背景として。それこそが、私の標榜する「強い人間に育てる」ための大切な心がけだと信じて。