ホームページの更新や規約事項の改定などに忙殺されるここ数日だった。
「だった」はおかしい。まだやることは山のようにあるのだが、一つ一つ気合を入れて取り組むと、言葉にはしづらいが見えてくるものがある。
それは「気合」がもたらすものと言えばいいのだろうか。気合があってこそできる何かがある、ということなのである。
教材の最終選定(30日に最後の展示会にお邪魔して月内に最終決定する)もそう。教材そのものの体裁やこちらが描く理想像が浮かぶ。これを手に取り、毎日コツコツ取り組む塾生のすがたまでが、鮮やかに目の前に浮かび上がる。そして今の私に出せる最適解とも呼べるものへ近づけてくれる。それまでの徒然なるままに考えていた時とは違う、リアルな幻影ともいうべきものに導かれていく感覚になるのである。
では、仕事が差し迫ったときにだけ力を入れればいいのかというと、それは全く違う。時間のある時にああでもないこうでもないと考えを巡らせてきたあの時間があればこそ、この最終段階に一気に考えをまとめきれるのだ。
翻って勉強もそうだと思う。テストが近づかなければやる気にならない、という人は多いかもしれないが、普段の時間があるときに地道に頭を巡らせ、手を動かしたあの時間があればこそ、テスト前の押し迫った時期に力が湧いて成果が上がるのだ。
その心もて、今日も地道な日常の尊さを陰に陽に伝えたい。