期末試験ももう返却まで終了した学校が多いと思う。
まず大事なのは、テストの点数ではない。いや、点数は大事なのだが、その点数に対して何を感じるかが大切だ。その感じた気持ちに対する評価が大切だ。
あれだけ頑張ったのによくなかった、という人がいるかもしれない。まず、あなたは根本的に間違っている。頑張った「のに」とは自分がしていい評価ではない。親や教師など、他人が評価を下すときに用いらるべきことばだ。もし自分に「頑張ったのに」という気持ちがあるのなら、言葉が悪いがあなたはまだまだ甘い。
これだけ頑張ったからよかった、と評価する人もいるかもしれない。これも極論と言うか極言すればだが、100点満点でないのなら、あなたにはまだ足りない何かがあるのだ。自分の頑張りを「これだけ」と限定しているようでは次はない。
そしてさらにもう一つ。
あなたは本当に頑張ったのか。頑張るという表現は手垢にまみれすぎていて、どこか気持ちが悪いと感じるためもう使わないが、あなたは本当にこれ以上ない、というところまで自分自身を追い込めたか。自分一人の力でどうにもならない時に、周りの環境(親や学校、塾の先生など)に助けを求めたか。1点でももぎ取るために、自分にできることをすべてしたのか。今の自分を少しでも高めたい、という熱意を見せたのか。
残念な話だが、試験や受験といった目的のためにする勉強には、大学などの研究とは異なり、「自己研鑽」のための情熱が必要不可欠だ。「テストだからテス勉しました」「受験だから受験勉強しました」というような「仕方なくやりました」とでもいうべき姿勢では何も結果なぞ伴わない。塾に何時間缶詰めになろうが、図書館や学習プラザにこもろうが、家で自室にこもろうが一緒だ。大事なのは場所ではない。環境でもない。自分自身だ。その部分がなく、言葉の上でだけ「頑張ります」と吠えても何の意味もない。
今回こんな激越な字句を並べるのは、塾生にこの「1点でも取ってやる」という意地を感じられた子が少なかったからだ。私がもっと伝えねばならなかったのか、私自身への反省と後悔が夢にまで押し寄せてくる日々を過ごした。だから昨日、上記のような趣旨をもう少し砕いた言い方で思い切り伝えた。
「そんなふわふわした考え方で自分を追い込めないような人間なら、今後も点数は下がる、よくて今のままだ。」と。
私自身もこれからはもっと追い込んでいく。塾生をではない。自分自身をだ。