精神論というと何やら昭和の香りがする、今は令和だぞと言われそうな気もするが、令和だろうが昭和だろうが、文久だろうが大化だろうがそもそも人間をやっていることに違いがあるわけでなし、何千年歴史を積み上げようが人間の本質に変わりはあるまいと私は思っている。
何やら大仰な物言いになってしまったが、考えていることはごくごく当たり前の穏当な話。
勉強できるようになるには心がけが必要だよ、と申し上げたいだけだ。
手短にしか言わない。
教師から聞いた話は「忘れるものか」と心に決めて聞く、ノートに取る。
自分が犯したミスや覚え忘れ、覚え違いに気づいたらすぐに修正し、同じ過ちを犯さないと心に決める。
ルールや考え方を教わったら、それを頭の中で繰り返し唱えながら問題練習などを行う。
最後にこれらを毎日、毎回実行する。
これさえできれば、勉強ができるようになるかはともかく、今の自分よりは確実に成長する。
そこにあるのは「精神の持ち方」「意識の向け方」「習慣づけ」といった、意志の力が大きく影響する物事だらけだ。
冒頭の話だが、結局勉強に必要なのは方法論だけではない。精神論もまた方法のひとつなのだ。いや、具体的な方法論の前の段階に存在するものと言ってもいい。
これが涵養できるか。私にとっても試練だと思っている。