勉強のやり方を売りにする学習塾や書籍が多い。
巷に多くあふれるようになったこの言葉に応えているのだ。
勉強のやり方がわからない
この言葉、真に受けてはいけない。
「じゃあ勉強のやり方を教えましょう」と言ってくる塾も同様だ。
勉強のやり方がわからないはウソ
「勉強のやり方がわからない」という言葉は実に便利だ。子供がこれを言った場合、大人は勝手にこう理解するからだ。
「(やろうと思っているけど)やり方がわからない」「(やってはいるけど)やり方がわからない」。
率直に言う。これは誤解あるいは思い込み。その仕組みにまで話を深めると長くなってしまうから控えるが、勉強のやり方に対する理解、あるいは過去の反省を持っている大人の耳には、上記のように聞こえてしまうのが原因だと思っている。
でも、実際はウソだ。
勉強したくないのを「やり方がわからない」と言ってしまえば、怒られないのだ。便利な返し文句になっていることに、子供たちは気づいてしまっている。カッコの部分は勝手に大人が判断してくれる。やる気だけはあるようだと思ってくれる。誠に便利至極。
「勉強のやり方がわからない」を本気にしない
だから大人は本気にしてはいけない。
「じゃあ勉強のやり方を教えましょう!」と言ってくる塾の言葉にも注意が必要だ。
はっきり言ってしまう。
「勉強のやり方がわからない」という子どものほとんどは「単に勉強をしていないだけ」だ。
聞き分けのいい大人のような顔をして、うかとその話に乗ってはいけない。
「うちの子、勉強の仕方がわからないみたいで・・・」という学習相談は今までうんざりするほど聞いてきた。そしてその子たちのほとんどは単に勉強していないだけだ。単にやる気がないだけだ。教えた「やり方」はまずもって実行しない。目の前ではやっているふりをしても、3日もあればきれいにやり方を忘れて元の木阿弥だ。
だから私は親御さんの「この子勉強の仕方がわからないみたいで・・・」を99%疑って聞いている。
まずはやらせてみなさい、やらせてくれるところに行きなさい!
だから、もしお子さんに「勉強のやり方がわからないし・・・」と言われたら終わりだ。
1%の本当の「勉強の仕方がわからない」はしばらくすると判明する。
突き詰めて話を聞くと「勉強のやり方」というボヤっとした言い方しか知らなかっただけで、中身は「算数の考え方がわからない」「漢字の覚え方がわからない」という具体的なものであることがほとんどだからだ。なので、この手の本当の「わからない」は、ボキャブラリーがまだ貧しい小学生の口から聞くことがほとんどだ。そして、この手の小学生はやり方を知ると嬉しそうに実践し、苦手を克服してしまう。
中学生以上だとほぼクロ。やる気の問題がどうにもならないのなら、諦めたほうがいい。
もしもそれでも勉強する気があるようなら、「勉強の仕方」を教えてくれる塾ではなく、「勉強をさせて」くれる塾を探した方がいい。それでもダメなら、「この子に勉強は無理」と見切りをつけ、就職など別の道を見つけさせるようにすべきだと思う。
最後に
勉強ができない人間は「劣っている」人間ではない。
勉強に適性がないというだけだ。スポーツが苦手、手先が不器用、というのと同じ次元の話だ。
適性のない分野で努力するのは、文字通りの「無駄な努力」になる。無駄な努力は子供の心と将来に傷しか残さない。もしも勉強への適性が疑わしければ、勉強を無理にさせないようにした方がいい。というよりそうすべきだ。
それでも勉強させたい親御さんへ。
勉強の価値を「合格」「成績」に置かないでください。「努力」の価値だけをうんと教えてあげてください。「結果」は求めないでください。大事なお子さんを傷つけないであげてください。心からお願いします。