少し前に塾生(小学生)のお母さんから聞いた話。
学校で英語のテストか何かがあったそうだが、そのときに先生がポツリと「塾組は楽勝やと思うけどね」と言ったそうだ。
小学校の英語がよくない、というのは以前から教育関係では話題になっているのだが、ここでしっかり考えなおしておいた方がいいかもしれない。そう考えさせられるポイントのようなものが、上に書いたできごとの中に込められているような気がするからだ。
まず第一は、学校の英語の授業では楽勝にならないテストが、学校で出題されている事実。それはそうだろう。半分お遊びのように進む授業で、中身は英語表現を覚えるだけ。「誕生日を尋ねるとき」「好きな色を尋ねるとき」のように、場面に応じた言い方を学ぶだけなのだから。応用の利く子なら、そこから「好きな教科は?」「弟の誕生日は?」と曲がりなりにも応用できる余地があるが、多くの子はこのような応用は難しい。小学生ならなおさらだ。かといって、疑問詞when,whatのように、用語を交えて教えてもチンプンカンプンだろうし、それをする裁量も時間もなかろう。
もうひとつは、学校が塾の存在を前提にしている点だ。中学受験では英語を試験科目にしている学校があまりない。ということは、ここでいう塾とは、中学受験を前提にしない塾、すなわち我々のような塾だ。こういうところで学んでいる子が前提になっているという点だ。中学に行くと英語がやばいぞ、ということをどこかから聞いていて、早いうちに対策させたいと考える親が少なからずいる、ということだ。
そしてこれらの終着点は、小学校から中学校への接続がまるでできていない英語だ。中学受験をした子たちは、少なからず学習適正が高い子が多いかもしれない分、中学からみっちり鍛えてもどうにかできる余地があるかもしれないし、カリキュラムの裁量が公立中より大きい分、対応する力はあるかもしれないが、公立中に行くとそれもない。小学校でしこたまチンプンカンプン状態にされた挙句、接続できている(という幻想)とみなして中学英語に入れば、英語は壊滅的だ。
そして何度も言ってきたことだが、英語から逃げて大学受験に挑むのはほぼ不可能。仮に回避できる道が少ないとはいえあったとしても、英語はその科目の特性上、その出来が学力の有無に直結しやすいので、英語以外の科目で突破できる可能性はかなり低い。
たまたま件の塾生の担任の先生がそう考えているだけ、という可能性はもちろんあるが、私としても考えさせられる。もはや学校の先生が塾の存在を前提にするのであれば、我々も動かなくてはいけない。それは何か。学校授業の枠内でどうにもできない部分(文法や英単語への意識など)を鍛える場を、我々が提供しなくてはいけないということだ。
そのような状況を見越し、少なくとも英語については学校以上の基礎知識の伝授と練習機会の提供を図りたい。新年度は3月より始まるが、授業計画をさらに気合を入れて練らねばなるまい。

