他人と比べられることについて思うところを、以前に書いたことがある。
少しここから進めた考えを書きたいのだが、他人と比べられるのは否応なしに避けられないとして、その際に比べられたわが身はどのようにするのか。
一番よくない反応は「あの子と私は違う」あるいは「あの子とうちの子は違う」だ。これには大きな問題が隠れていると思っていて、それは、自分のあるいは我が子の怠慢を「個性」の問題に、半ばは無意識にすり替えようとする意志が透けて見えることだと思っている。
「僕は〇〇さんとは違う(から自分は同じようにはしたくない)」、「うちの子は〇〇君とは違う(から我が子の問題は言わないでくれ)」、といった具合だと思う。
考えてみてほしいのだが、勉強でも仕事でもなんでもいい。他人と引き比べられる際、その他人というのは、自分よりも優れた人ではないだろうか。自分より優れた人の存在(あるいは振る舞い)を、他人(先生や上司など)の評価を伴って引き合いに出されるということになる。当然プライドは傷つくだろうし、自分の取り組み不足などを、嫌でも見せつけられることになるだろう。
ただ、そういう場面でこそ、その人の本質が見えると思っている。それは「じゃあこの人のように取り組んで評価を変えさせてやる、あるいは追い抜いてやる」とプラスの闘志に変えられる場合と、「あの人と俺は違うんだから、わざわざ比べたりしないでいただきたい」と、その奥に隠れる自分自身の課題もろともから逃げ出す思考の違いだ。
今は個性尊重、多様性尊重の時代だという。それはもちろん歓迎すべき考えだと思っている。ただしそれは、物事が前向きに、あるいは上向きに進む場合にのみ歓迎すべき考えだと思っている。平等を謳い文句にしてできない子に合わせたり、あるいは上にいる人の権利を制限して下方硬直化させるような個性尊重や平等ならいらないと思っている。これを「悪平等」と呼ぶようだ。
私にとってのという一言を添えたうえで、本当の平等に向けて、できるだけ高い位置で均一化が図れるよう、指導を続けたい。



