総合選抜型に特化したとある大学入試専門塾が、詳しいことはよくわからないがトラブルで授業が止まってしまっているというニュースがテレビで流れていた。
番組ではその塾のニュースからの流れで総合選抜型試験の話題に移った。私も、件の塾に関しては何も知らないし、特に思うこともないので、そちらの話題について考えながら見ていた。
今は大学入試の2割くらいが総合型選抜(旧AO入試)、4割くらいが学校推薦型選抜(旧公募推薦、指定校推薦)で、一般選抜がは4割強くらいになっているらしい。どういう統計を取ったのかまではよくわからなかったが、付属校からの内部進学が含まれていないとするなら、一般選抜入学者の割合はさらに下がるだろう。
総合型選抜というのはごく簡単に言うと、探究活動や研究実績などのように、従来の学力だけでは測れない学生の力を見て、大学で学ぶにふさわしい人物かを判断する入試になる。大学生の就職活動に似たところがある制度だ。
入試方式として悪いとは全く思わない。探求学習に真摯に取り組める姿勢は、大学においても必ずや役に立つ。とはいえ、疑問に思うこともないわけではない。
一つは、何度か日記で話題にしたが「探求学習」の質の問題だ。公立中学校の探求の内容や授業の様子を見ているとどうしても、先々大学などが求める水準に達する探求学習の基本が習得できるのか疑問に思えてならない。
もう一つは大学側の問題。理念通りの総合型選抜が実施できる大学が果たしていくつあるだろうか、ということだ。この手の改革の旗手となっている東北大学のような難関国立大学や早慶上智、関西なら関関同立のような伝統ある有名難関私大ならいざ知らず、折からの少子化などで学生募集に苦慮している大学の場合、「学力試験でなくても入れますよ」というアピール材料にしかならないのではないか、という危惧もある。
今でも、「学力試験で入った組は優秀で、推薦で入った組は大したことない」というような言い方をする人は少なからずいる。自分たちが経てきたのと違う道で入ってくる後進が許せないのだろう。私は法学部出身者で、ちょうど法科大学院が開始するころに学生だったが、旧司法試験を経て弁護士などになった先輩の中には、当時「ロー出たやつは使えんわ」のような悪態をつく人がいた。あれと似たような現象が、大学入試というもっと広いフィールドで展開されていると私は見ている。
正直なところ、新しい制度で新しい道を通る人たちに対してそういう目を向けるのは狭量だと思っている。新しい道を通った人が何の成果も出せない人材ばかりになったら、その考えも正しいと言えるのかもしれないけれど、こればかりは答えはない。そうなると、新しい道しかない中で進路を選ばざるを得ないこれからの若者からしたら、理不尽な意見を向けられていることにしかならないのではなかろうか。ある種の世代間対立と言って良いのかもしれないが、何も生産的な結果にはならなさそうな気がするので、私はこの手の議論に対して意見は挟まず、客観的に見て、総合型選抜がどう推移していくのか見つめ続けたい。



