前提なき探求学習はマイナス

中学生

学力低下の原因は”探求的・協同的な学び”の偏重ではないか」というニュース記事があった。

おおむね言いたいことはわかる。探求学習が悪いなんて全く思わないが、探求学習にはその前提たる基礎知識があって初めて成立する、と私は思っている。そしてその基礎知識というものは、従来の学校教育の中にあった、基礎的な訓練の繰り返しで身につくものだと思っている。

数年前に見たニュース記事だが、神戸大学の付属中学高校では探求学習が進んでいて、その探求の成果をもって受験に臨み、東京大学の推薦入試合格者が毎年コンスタントに出ていると書かれていた。してみれば、探求学習の効果はあるじゃないか、と思われるだろうし、私も結果について何にも否定はしない。

ただ、考えてみてほしいのだが、神戸大学の付属中は国立校だ。中学入試を潜り抜けなくては入れない。模試会社によって数値は異なるが、おおむねいろいろなサイトを見て回っても偏差値は60を超える。念のため言っておくが、中学受験の偏差値60以上は全国レベルのトップ校に準ずる高い水準だ。高校受験の偏差値60とはわけが違う。だから、ここの子たちは小学生の早い段階で受験塾などに通い、知識や処理能力を磨きに磨き上げて試験を突破している。そのような基礎的な能力を高い水準でもっているからこそ、中学に入ってから探求学習に取り組んでも耐えられるのだ。いや、耐えられるというよりも、その探求学習の効果を存分に享受できる下地が整っているのだ。

さらに付け加えるなら、国立大学の付属校は、教育学部に属している(今はいろいろな大学で名称を変えているが)。つまり、教育学の見地から、新しい取り組みを導入しやすい環境が整っているのだ。ある意味子供たちはその実験台という言い方もできなくはないのかもしれないが、なにせ研究の一環なのだもの、先生あるいは研究者は必死だ。目の前の子供たち相手に、効果を出したいと思って熱心に取り組んでくれることは間違いあるまい。そしてそれがうまくはまると、先に述べた「東大推薦合格者を毎年輩出」になるわけだ。

では翻って公立中での探求学習はどうだろう。まず先生側の話だが、そもそも探求学習について経験もなければ、自分がしたこともない人が多いだろう。大学で研究したことがある先生だって少ないだろうと思われる。そんな中で手探りしながら導入する探求学習と、教育学の研究者たちが、付属校の生徒を使って本気で取り組んでくる探求学習では、そもそも勝負にすらなるまい。

次に受け手側の子供の話だが、小学生の段階から探求に時間を取られ、基礎知識にかける時間を削られた状態では、そもそも知識がつかない。計算などの処理能力も、学習適正の高い子や、公文式などで基礎練習を熱心に積んでいるなどがなければおぼつかないだろう。そんな状態で探求学習に入る。前提になる知識も乏しければ、身の回りの出来事に対する興味関心もない子が多くを占める教室で、やれグループワークだなんだと言われても、そもそも話がちっとも前に進む気がしないのは私だけではないはずだ。言い方は悪いが、そんな時間に圧迫されて、ただでさえおぼつかない基礎知識や技能の習得がさらに進まない状況になるなら、悪循環というよりほかはない。

ではどうしたらいいのだろう、ということになるのだが、学校の授業を変えるなんて無理なのだから、自分たちで、あるいは家庭で対策するしかない。セルフディフェンスということになる。早い段階で学校の宿題以上にドリルをさせる、塾や公文式などに通わせる、雨あられのようにニュースを見せる。美術館や水族館などいろんなところに連れていく。できることは山ほどある。

記事にあるような教育界隈のニュースを見て、学校や文部科学省の文句を言っても仕方がない。人間は与えられた環境の中でしか生きられない。自分で環境を作り出すのは至難の業、あるいは不可能だ。その環境の中で、どうすればこの子にとっていいのかを常に模索してほしいと心から思う。そして私も、常に模索して、何をさせることが大切かを考え続けていく。

そして最後に。現場の先生は非常なご苦労の上に、今も学級運営、授業実施に心を砕いておられる。絶対に現場の先生方の努力や苦労を否定したりしてはいけない。できるなら「一緒になって」子供たちを学校をよくしていこう、という風に考えてほしいし、私もそう考えている。

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