「わからせてもらおう」という病

日々の考えあれこれ

中学生のころ、帰り道に友人がこんな話をしていたことがある。

「〇〇先生(確か社会だったと思う)、わかりにくいからいややわ。」

その時は適当に聞き流していたが、私の腹の中ではこう思っていた。

「真面目に授業聞いてわかろうとしたんかな?それもないまま、先生のせいにしてもしゃあないやろうに。」

私だって先生の好き嫌いくらいあった。今思い出しても好きになれない先生だって、残念なのだがいる。ただ、だからといってその先生の授業を適当に聞く、ということはしなかった。

ここで問題にしたいのは、「先生がわかりにくい」という言葉の意味だ。友人は心からそう思って話したのだと思うが、私は件のその先生の授業をわかりにくいと思ったことはなかった。簡単に言えば主観の問題だということ。

もう一つは、わからないことを先生のせいにする心がけの問題。これは由々しき問題だと持っていて、今の子に限らないのだろうが、最近は特に「人のせい」という他責思考が問題になっている。

原因はいろいろあるだろうが、私は特に最近の傾向として、「お客様扱い」の結果があるように思えてならない。人が自分に何かをしてくれる、という状態が当たり前になってきたことだ。

その結果、「先生が私にわからせてくれない」という考え方が現れる。もちろん、塾だろうが学校だろうが、生徒にわかってもらうために話をするのは間違いない。それが仕事だ。ただ、受け取る側がそれを当たり前とし、自分は何もしなくても、相手が何とかしてくれるという考えに陥っているとしたら重症だ。その状態で塾に来ても、根本の考えが改まらない限り、改善はすまい。

これだけ言うと、「なんだ、子供のせいにするのか。教える側に責任はないのか。」と思われるかもしれないが、申し訳ないがここは「お互い様」だと思っている。教える側は「わからせてあげたい」との思いで全力で指導する、教わる側も「わかるようにしたい」と頭をフル回転させながら聞くという、同じ方向を向いた両者が存在して初めて、授業は意味を持つのだと思う。

この思い出もあって、私は塾生が「〇〇先生はわかりにくい、授業が下手」などの言葉を発すると、「その前に君は分かるように努力したんか。それもないまま先生の文句だけ言ってるようなら、二度と俺の前でそのセリフは口に出すな」とたしなめるようにしている。

もちろん、「こっちだって君たちにわかってもらうために、できるようになってもらうために、強くなれるように、毎日毎日考えているんだぞ。」という思いを胸に秘めながら。

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