改めて私が塾が目指すもの

塾の紹介あれこれ

この塾が目指すもの、というものは毎日考えることの一つだ。塾生の勉強や成績を考えることと同じくらい頻繁に頭の中をよぎり続けている。

今、塾内で実現したいことは「毎日一緒に勉強できる場所」づくりだ。一方的に授業をする場でもなければ、自習室でもない。個別指導塾や家庭教師のようにつきっきりになる場所でもない。

ずいぶん贅沢なことを考えるものだと自分でもあきれる瞬間はあるが、塾を営むうえで最も大切にしたいテーマが「勉強で強くなる」にある以上、この贅沢な悩みを、可能な限り100%実現できるように近づけることを考え続けたい。

中学生は特に、学校授業との連動を第一に掲げたい。学校授業がしっかり理解できていないなら、授業の記憶が残っているうちにその復習をみっちり行わせ、ある程度以上理解ができているのなら、学校授業を超えた入試問題や発展問題、学校が詳しく教えない(教える時間がない)内容まで踏み込んで話していく。習熟度を考慮して勉強が進められるようにしたい。

そのうえで、生徒の自走力も磨かせたい。私がこの塾を通じてたどり着いてほしい究極の目標は、自走する力がつくことだ。だから、時期や生徒の習熟度など特段の条件がない限り、勉強内容に注文を付けない時間も一定程度存在する。

これは、「塾のおかげで成績が上がった」「塾のおかげで高校や大学に合格した」で終わらせないために必要な考え方なのだと思っている。塾が生徒のために助力するのは当たり前だし、それが仕事なのだが、とかく受験という場になると、塾が主役ぶりたくなる場面が多くなりがちだ。特に、内容が難しすぎて、保護者の力が勉強に及びにくい中学受験などはそうだろう。

しかし、塾の役割というのはどこまでもサブであるべきだと思っている。前に出しゃばって「これをやれ、あれをやれ」で引っ張ることは、目の前のテストくらいならどうにかなったとしても、その後の受験、さらにそのあとの長い人生には何のプラスももたらさない。

塾は商売だから、成績なり受験なりで結果を出してあげないといけないだろう、と言われればその通りだが、ここが経済原理と教育理念のジレンマだと思っている。どちらを取るのが正解という話ではなく、多くの塾の先生たちはそのはざまでせめぎあいながら、それぞれの先生なりの教育観ないし方針を掲げて戦っておられるはずだ。商売として成り立たせたい、でも自分の目指す教育像なりは叶えたい、と。

それらを考えて私が目指したいものは、「結果を自分で出させるために、(できれば)毎日一緒に勉強する場所をつくる」ことだ。

やや暑苦しい話だが、この情熱だけは絶対に失わない。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

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