静岡県の伊東市長が、学歴詐称などの問題で市長を辞職するというニュースがしばらく続いている。
学歴問題は過去にもいろいろ取りざたされてきた。中には大卒を高卒と偽って公務員の採用試験に通った職員が懲戒免職になるという、逆学歴詐称というべき出来事もあった(確か神戸市)。
こういうニュースに当たるたびに「学歴ってなんだ?」と考えたくなるのだが、そもそも学歴というのは、私個人の考えでは、「ゲームにおける防具のようなもの(武器ではない)」と考えている。あった方が、就職や資格取得の際に多少有利に働く可能性がある、という程度のものという意味だ。防具に例えれば、着けていなくても、敵の攻撃に当たらなければダメージはない。世の中に置き換えるなら、学歴はなかったとしても、本人のスキルや立ち回り方でどうとでもわたっていける程度のものでしかないと思っている。もちろん、医師や薬剤師のように、大学の特定の学部を出ていないと取得できない国家資格もあるので、全部がそうだとは言わないが、そういう人はむしろ、覚悟を決めて大学入試などに臨むはずであって、そういう彼ら彼女らにとっての大学は、学歴を得るというよりは「通らなければならない道」というものになっているはずだ。
ではそういう前提に立ったとして、大学に行くとはどういうことなのか。
私の答えはいたってシンプル。人生における通り道の一つに過ぎないと考えればいいのだ。通りたければ通ればいい。そのために多少の試練(入試など)があるなら、甘んじてそれを受け入れて乗り越えればいいのだ。その先にある「社会から受けるダメージの軽減」、「得なければ就けない仕事」のような利益に似たものを求めるなら、大卒という学歴は大きな意味を持つ。
それとは別に、私にとって示唆に富む話をしてくれた人がいる。ある塾生のお母さんだ。私にこう言ってくれたことがある。
「娘には大学に行ってほしいと思っています。私自身も大学を出たんですけど、本当に4年間楽しくて充実した時間を過ごせました。娘にも、本人の希望もあるから無理にとは言わないまでも、できたらぜひ私みたいに楽しい時間を過ごさせてあげたいと思っているんです。」
そこには、「娘に学歴を」云々のような世俗的な欲求は全く感じられなかった。本当にこのお母さんは素晴らしい大学生活を送られたんだろうなあ、心から娘さんにも味わわせてあげたいんだなあ、というのが声からも表情からも150%伝わってくるような話し方をなさっておられた。
私の考えが間違っているとは思わないが、このお母さんのおっしゃる、「楽しいから味わってほしい」というのは、私にとって、大学に行くことの本来の意味のようなものの本質を考えさせられるセリフだと、今も思っている。