大学進学の話になる。目指すなら高偏差値の大学へ、という考え方があり、一方で偏差値だけで大学の価値をはかるべきでないという考えがある。
どちらも正しいと言って差支えはなかろうが、では果たして自分が或いはわが子が進学、受験となったときはどうだろうか。初対面の人からその人の出身大学を伝えられたときはどうだろうか。状況によって取りうる考えは異なるはずだ。前者なら「より高い偏差値に」、後者なら「偏差値がすべてではない」という考えが正解になるだろう。それを俗に本音と建前という。
本音と建前論をしたいわけではない。私個人の考えであるが、私は自分に関する場面だけは「より高い偏差値へ」と考えたほうがいいと思っている。偏差値の高い大学イコール価値の高い大学ということが言いたいのではない。せっかく偏差値というわかりやすい難しさやレベルの指標があるのだから、その数値のより高みを目指して挑む姿勢はあってしかるべきだと思っているのだ。
全ての価値は等しく、全ては平等だという考えは一見美しいが、そこには上昇志向がなくなる。大学の話から持ってきたので偏差値という数字ばかりやり玉に挙げがちになるが、何も受験に限ったことではないと思う。仕事における顧客満足や業界シェア、個人に落とし込めば勤務評定や営業成績、出世なども同じことだろう。上を目指す姿勢があって初めて、物事に打ち込む力も沸こうというものだと私は思っている。
ただしその意識は自分にだけ向けられべきものだとも思っている。他人に対して向けるものでは決してあってはならないと思っている。
せめて心の中では上下(じょうか)あるべしと私は信じている。