2024年11月28日 比較なくして個性なし

中学生

最近、ニュースやワイドショーで「不登校」を取り上げることが多いようだ。特定のテレビ局なので、社をあげたキャンペーンなのだろうと推察する。

たいていその手の話題が取り上げられると、まずアンケート調査がある。「わが子が学校に行きたくないといった時、どうする?」の類だ。そして、それに合わせて教育の専門家らしきコメンテーターが提言をする。

その中でこんな話を聞いた。

「一斉指導には限界がある。」という趣旨の話だ。みんなで同じ教室で同じ授業を受ける、という形式が今の時代にそぐわない、ということらしい。「もっと子供たち一人ひとりの個性に寄り添っていければ、学校に行くのも苦ではなくなるのに。」と話していた。

私もこれは否定しない。個性に合わせて指導できれば、子どもたちがのびのび学べるということ、お説いちいちごもっともだ。

ただ、それでも私はこうも考える。「一斉指導の場は必要だ。」と。なぜか。

いくら個性個性と叫んだところで、その個性とやらは他人との比較の上に成り立つものだからだ。もっと言えば、他者との比較なしに人生を歩むことは、少なくとも今の社会では不可能だ。

友達よりも、同じクラスの〇〇さんよりも、同じチームの他のメンバーよりも、会社の他の同期入社組よりも・・・。

社内での出世であれ、スポーツチームでの活躍であれ、生まれた子供のことであれ、人みな比べずにには生きられない。

その「比べられる」最初の場こそ、一斉に指導を受ける場たる学校だろう。個性の部分と他者との相対性の部分をバランスよく味わう経験がなくば、個性は個性たりえず、世間の評価の中でいわゆる「浮いた」人間になってつまはじきにされる危険すら負うと思う。

私も、塾生の個性は十分に尊重し、受け入れたい。ただ一方で、他者との関係の中で評価される能力でなければ、それは個性とは言えない。他社との比較も当然のごとく行うつもりである。

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