同じことを毎日毎日繰り返していると、その中に新しい発見や気づきを得られる瞬間がある。
「あれ、ひょっとしてこれはこういうことなのでは?」という気づきだ。
具体例を引っ張ってこられないため、あいまいな言い方になってしまうのがなんとも歯がゆいのだが、勉強においても、この「あれ?」という瞬間が来る時がチャンスだ。
その時の頭の中身を何度も思い返して整理し、繰り返し実践して確かめ、頭の中で体系的に整理できた瞬間、学力は間違いなく向上する。
普段の勉強というのは、この「あれ?」が舞い降りる瞬間を信じて愚直に問題演習や教科書の熟読を繰り返すことにある、と言ってもいいだろう。
ただこの愚直な繰り返しが最大にして唯一の関門と言える。
まずもってその「あれ?」が来る保証がない。来るとしてもいつなのか全くわからない。これは指導者の側であっても全くわからない。だから、「意味ない」「面倒くさい」の感情にいともあっさり駆逐されてしまう。
極言すれば、勉強できない子の大半はここに原因があるといっていいかもしれない。
勉強に困らない子というのは、得てしてこの「あれ?」が早くやってくる。それが楽しさあるいはやりがいにつながって勉強を継続でき、その結果が点差や順位差に跳ね返るといっていいだろう。
ではできない子はいつまでやってもできないのか。
私は敢然と「いいえ、そんなことはありません。」と言い切りたい。一番大切なのは、その最初の「あれ?」はいつか必ず来る、ということだ。そしてそれを信じて続けられるなら、「あれ?」は必ずやってくるのだ。
生みの苦しみというが、同じようなもので、最初の「あれ?」はなかなかやってきてくれない。
それでも信じて愚直に続けられることが第一歩だ。必ず来る第一歩だ。その第一歩が来るまでの忍耐と根性があれば、必ず成績は上がる。
もう一度極言する。信じて続けていれば、その時は必ずやってくる。
いささか精神論じみた話で申し訳ないが、塾生たちにもこの精神の涵養を促し続けたい。