勉強を見ていて思うのだが、答え合わせの結果を見て「どうやった?」と尋ねると、「わからなかった(間違えた)けど、答え見たらわかった」と答える場面がとても多い。
そんなとき、私は冷然とこう言い放つことにしている。
「答え見たらアホでもわかるよ。明日か明後日にもう一度同じような問題にあたったときに、今わかった通りの手順で考えて答えられないと意味ないやん。」
ここで大事なのは、できない子(ここではあえてはっきりこういう言い方を使うが)ほど「答え」にしか意識が向いていない、ということ。そして、それがためにいい結果が得られなくても、そこから変えていくことができないこと。
できるようになろう、という、その奥にある「できる子」になるための心構えは持っていない。
今まで何度も「その場はわかったけど、後日のテストでできていない」という経験をしてきたにもかかわらず、また同じことを繰り返す。「次は頑張る」と口では言うが、次も同じことを繰り返し、同じ問答を繰り返し、同じ失敗を繰り返し、何も進歩しない。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とは、かの鉄血宰相ビスマルクの言葉だと伝えられているが、今のできない子は経験からすら学べない。ビスマルクの言を借りれば、愚者未満ということになってしまう。なんと形容していいのか。
ただ救いはある。みなまだ子供だ。賢者を送り出すのは至難の業だが、文字通り「愚にもつかない」生徒を送り出すようなことだけは死んでもできないと、覚悟を決めて今日も塾生たちに当たっていく。