ほめて伸ばす指導と叱って伸ばす指導。
どちらがいいかという議論は今もたまに見られる。
「最近の若者(Z世代とか言われる世代)は褒められて育ってきたからうんぬんかんぬん」の類である。
世代に関する考え方は偏見も多いと思うのでおいておく。
どちらも一長一短があると思っているが、ここでは私のスタンスについて話したい。
私は結構叱る。
叱るといっても、怒号を発したり(以前は結構やりました)、人格を否定するような罵倒をする、というような類ではない。
今やっていることがどれだけまずいことかを直球で伝えるようにしている。
覚え方、取り組み姿勢。もっと具体的に言うと「できないことを放っておく性根」「点数がよくなかったのをへらへらした半笑い(もっとも嫌いな顔)で話す姿勢」「他人のせいにする、自分に都合のいいことしか反応しない」など、これらが「終わっている」ということをぐうの音も出ないくらい畳みかけて話す。
なぜそうするのか。いろいろな言い方や伝え方があるのは知っている。そういう類のビジネス本や自己啓発本があるのも見かけるし、その内容もいちいちごもっともなのだ。
ただ、そうした類の話は全て大人のコミュニケーションでのことだと思っている。まだ小学生や中学生の場合、必要なのは事実と改善への働きかけあるのみ。そうして強靭な自己ないしは人格を形成してのち、大人のコミュニケーションや対人関係の機微などを学ぶのが筋だと思っている。
そのために必要なのは、脳天から足のつま先まで稲妻のように響く経験だと思っている。柔らかく卵や豆腐でも扱うかのようにしながら働きかけても、卵のままあるいは豆腐のまま大人になるだけで、ちょっと固いものに当たるだけで、形を失うほどに傷つくだけだと思う。
嫌われても一向構わない。
願わくはかかわったお子さんが一人でも、強靭な精神を培った本物の大人にならんことを。