SNSにある写真が投稿されていた。そこには、小学校のテストの採点基準が実例とQ&A方式で書かれていて、例えば記号問題で「アイウエオ」に〇がついているのに、解答欄には〇なしでアイウエオが書かれていたらどうするか、などとあった。
これら質問に対するアンサーとして、すべての項目に書かれていたのは、「内容の理解ができていれば正解としていい」だった。まあ、言いたいことはわかる。その中に、こんな間違い事例があった。織田信長と漢字で答えるところ、間違えて「識」田信長と書かれている答えを引っ張ってあったのだ。つまり漢字の誤字ということ。ところがこれに対しても「内容の理解ができていれば正解にしていい」と答えていた。「おだのぶなが」がわかっていればOKと言いたいのだろう。
さすがにこれは多くの人(教員の方や塾の先生方)が反応を示していた。個々の先生方の反応に対しては何も言うことはないが、私の考え方はこう。
「上の学校(中高など)の試験や高校、大学受験がそれで通らないなら、内容の理解に関わらず誤字はアウト」
例えば、社会のような用語問題が多い科目では典型だが、定期試験の問題用紙にこうある。
「授業内で漢字で習ったものは、漢字で書かないと不正解になります」
返ってきた塾生の答案を見ても、おそらく答えたい内容は正解であったろう問題でも、誤字があった場合は不正解になっている。結局のところ学校同士の意識のずれが問題なのかもしれないが、大学受験でも、例えば国公立大学の二次試験などでは記述・論述式が今も続いている。私立大のようにマークシート方式であっても、例えば国語の漢字問題なら、正しく字を知っていないと正解できないような問題を出す。
とはいえ、確かに今の世の中、「内容が合っていれば大丈夫でしょ」という感覚もわからなくはない。仕事の場であってもそうだろうし、キーボード入力やフリック打ちが全盛の今、ニュース記事などでも誤字(変換ミス)の類は数多いし、いちいちそのことに対してとがめだてる気にもならない。なに私だって怪しいものだ。たまに自分の書いた日記を見返すことがあるが、変換ミスを見つけてあわてて編集、修正したことなど数えきれない。今ももしかしたら、見落とした変換ミスがいっぱい転がっているのかもしれない。
では、この手の誤字脱字の類は放置していいのか、といえばそうはいくまい。なぜ私がニュース記事などの誤字脱字をとがめないのかというと、もとの正しい字を知っているからだ。だから、「ああ、〇〇って言いたかったのね」と思えるので、そのまま見過ごしているだけだ。字の間違いを無制限に許容しているわけではない。
だから、せめて小学校の間に、正しく字を書く訓練は必須だと考えている。「内容がわかっていればいい」を許容できる前提たる、正しい理解を鍛える最初にして極めて重要な時期だからだ。塾でも、小学生の国語で一番力をこめるのは漢字だ。読解や論理の話は2番手。読解や論理の問題であっても、「文の中で漢字で書かれてるものは、ひらがなで書くな」と怒られる。たとえ選んだ場所が正解であったとしてもだ。「中身がわかっていればいい」というのは、前提としての正しい理解ができていて初めて吐いていい言葉だ。少なくとも私は、子供たちにこれを陰に陽に伝え続けている。

