授業で問題文などを読んでいるとき、問題文の指示などについて「どういうこと?」と聞かれることが多い。なんでもない普段の光景ではあるのだが、この手の質問が連発される場合は注意が必要だ。特に小学生の場合は。
本当にわからなくて聞いているのだから、そこに対して疑うことはない。問題は、その頻度と質問の速さだ。頻度が高く、質問が出るのが早い場合、申し訳ないが私は「考えることを放棄している、もしくは放棄しようとしている」とみなして聞くことにしている。わからないからとにかく聞いてしまって何とかしようという魂胆だ。
しかも困ったことに、今は「じっくり考えさせる」ことが、軽視されているとまでは言わないが避けられているように思える。じっくり考えるのは子供にとっては苦痛だから、当然嫌がられる。子供に嫌がられては困るから、親も先生もなるたけ避けてしまうのではないだろうか。どうしてもすぐに教えてしまうし、場合によっては先回りして教えたりしてしまうこともあるのではないか。
賛否はいろいろあろうが、私はこの「すぐに教えてしまう」スタンスは取りたくない。それはいずれ積もりに積もって「その場だけどうにかしていければ」という考え方にたどり着いてしまうような気がするからだ。教える仕事なのだから、答えや考え方を教えないつもりはもちろんないのだが、その前に頭に負荷をかけ、ストレスを感じながらも自分の力で一歩でも考えを前に進める経験を積ませなくてはいけないと思っている。
私の話だが、高校3年生で卒業が近くなった時期、担任の先生が、授業中かホームルームか忘れたがこのような話をしてくれた。
「受験が終わって合格すると、これから君らは大学に行くことになる。大学に行く、大学を出るというのはどういうことか考えてほしい。大学を出るというのは、『知的労働にたえられる』人間になるっていうことや。それをよく考えてほしい。」
当時は受験間近で、考えるどころではなかったのだが、今になるとよくわかる。それは頭を使うことに長けた存在になることだ。変な意味にとらないでいただきたいが、もしその力に長けていないのなら、体を使う仕事に就いた方がいい。そのほうが仕事がしやすいし、また体を動かす人は必要不可欠だ。
もしも我が子を「頭を使う人」にしたいのなら、目の前の「困っててかわいそう」に負けず、負荷をかける訓練、体験を積ませてほしい。私もできるだけそうしたいと思っているが、親御さんと比べてしまうと、かけられる時間が圧倒的に短すぎるのだ。お願いします。


