矯正というと、曲がったものを「矯めて」、まっすぐに「正す」というほどの意味なのだが、何かしらネガティヴな意味合いでとらえられがちだ。
しかしながら一方で、矯正はとても重要な教育だと思う。教育論のようなものを振りかざすのはあまり好きではないが、子供たちにとってはどうしても必要だ。
何度もこの話をすると目の敵にしているように思われそうだが、個性尊重の風潮だ。それ自体は私も当然否定などしないが、それは会社なり学校なり、社会が「前向き」になる意味においてのみ大切なことだと言い続けている。
他人を不快にさせたり、全体の動きを阻害するような振る舞いを「個性」というのは間違いだ。それは「ワガママ」に過ぎない。
子供たちのことに置き換えると、自分にとっていいと思っていることは、時として他人にとっては不快ないしは迷惑になることもあることを教えなくてはいけない。それを我が子が叱られた、とヒステリックに取り上げる事例が学校などではよくあるらしい。
本来はそこに至る前に親が教えなければいけないはずだ。以前、ショッピングモールにある、あるお店の通路でゴロゴロ寝転がる小さな子が居た。そばにいた母親は当然叱るのだが、その文言は「汚いでしょ!」だった。
違うだろう。「他の人が通る邪魔になるからこんなところで寝転がるな!」のが社会人たる人間を教える叱責の言葉であるはずだ。「汚いでしょ!」で叱っても、本人が「汚くても平気」と思っているなら受け入れるしかなくなる。個人を優先するという思考は、他人の迷惑を顧みない思考と紙一重なのだ。
少し前に、授業中に居眠りしそうになった子にカミナリを落とした。それは本人が寝ることに対してのカミナリではない。「周りの子が見てるんや!お前ひとりが寝るかどうかなんかどうでもええ!寝たかったら家帰って寝ろ!ここにいるなら、周りの人間のために寝ないようにせえ!!」と私は怒鳴った。
勉強のことを心配する親御さんは多かろう。塾に通わせようと考えるのだからそれは当然だろう。しかし、その前段階として、「他人のことを考える人間になる」ことを伝えてあげてほしい。むしろ伝えるのはそれだけでいいくらいだ。遠回りな言い方だが、成績が良くできる子ほど他人に迷惑をかける行為を、意識的か無意識かを問わずしないものだ。



