学校でも塾でも一緒だと思うが、教える側は、子供の顔をじっと見ている。もちろん一対多の状態なのでひとりをじっと見るわけにはいかないし、それはむしろ気持ち悪い(笑)。
話を少しでも聞いて、何としてでも自分の頭の中に詰め込んでやるぞ、という意気のようなものを表情から感じ取れるかが大切だ。
これだけを言うと、「そういう顔ができない子や寝ている子はダメってことかい?」と「できない子、ダメな子〇選」のような話をされるのではないかと思われるかもしれないが、私が言いたいことはそんな次元の話ではない。
私が目指す塾は、「勉強小屋」だ。あるいは「勉強道場」だ。静謐な空間だけをつくりたいというのではないが、皆が「勉強できるようになるんだ」という意識だけでつながり、皆が自分を高める方向に向いて集う場だ。そういう中であれば、時折放つバカ話の類や雑談は、勉強のアクセントに変わる。笑いと真剣さが相交差する空間になる。
最初に話した、授業中の子供たちの表情が同じものになっていることが、私の理想とする学びの場だ。
そしてそれをつくるのは、私の仕事だ。もしそうなっていない、理想から離れているのだとしたら、それはとりもなおさず、まだ私の力がいたらないということに他ならない。もちろん、講師と生徒が互いに作り上げる空間だから、子供たちにも求めるものがないとは言わない。ただ、贅沢だがそれを、私が無理やり働きかけたりすることで求めていってはいけないとも思っている。
自然発生的、という言い方が正しいのかわからないが、自然と闘う仲間が集う場を作り上げたい。そのためには、まず私が闘う姿勢を見せ続けなくてはいけない。それがなくては、子供たちにも同じ気持ちを持ってもらうことはできない。私の闘いは続く。
今日はちと青臭い話でした。

