他者との比較は好悪よりも必要性

塾の紹介あれこれ

他人と比べられたり、他人を引き合いに出されることが好きな人というのはまあいないだろう。私だって好きかと聞かれれば「嫌い」と答えるに決まっている。

にもかかわらず、私は塾の中でもよく、できる子や点数が上がった子の取り組み方などを引き合いに出すことが多い。

なぜ自分が嫌いなことなのに塾生には言うんだ、と怒られそうだが、嫌であることと必要なことは分けて考えなくてはいけないと、私はかねてから思っている。

ところが、子供だけならともかく親にもこういう考えがない人が多い。いや、というよりも、自分自身だったら受け入れるけれども我が子になったら話は別、という人が多いというべきか。

「うちの子は〇〇さんとは違う」ということになるわけだ。

ただ、近所の子と比べること、同じクラスの子と比べることは、当然親であってもしているはずなのだ。「〇〇ちゃんはうちの子と違ってほんといい子ですもんね」というお話は今までよく聞いてきた。おそらく家でも我が子に話しているのではないだろうか。もちろん、この手の親御さんに対しては何も悪くなど思っていないし、私はそれが普通であると思っている。

ところが一歩家を離れ、学校や塾のような場所で他人(先生のこと)に同じ趣旨のことを言われると、途端に豹変する。不思議だと思うかもしれないが、考えてみれば全然そんなことはない。

親と子、特に母と子は一心同体だと私は見ている。それはもちろんいいことである。我が子の痛みを我が痛みとする心をもってしなければ、子供は守れないとも思っている。だから、自分が我が子に言うことはできるし、もちろん我が子のためを思って言うのだと思う。

私だって、その心をもって我が子を守ってほしいと思っているが、同じことであっても先生のような自分以外の他人に言われてしまうと、我が子の「嫌だ」を自分の「嫌だ」に置き換えてしまうように感じるのではないかと推測している。推測なので違うと言われれば謝るしかないが。

自分であれ我が子であれ、今の世の中ではまだ、他人と比べられて生きるのはある程度避けられない。大人になると、その比較の結果が点数のような数字だけではなく、給料や出世のような目に見えるもの、格差で表される可能性だってまだ往々にしてある。その時に他人と比べられることから正面切って向かい合えるよう、子供の今から他人とは比べられた方がいいと思っている。

繰り返すが私だって他人と比べられるのは大嫌いだ。でも、生きていく以上避けられないのであれば、好悪よりも必要を取り、受け入れる覚悟だけはこれまでの人生で培ってこられたと思っている。その思いをもって、いささか酷なことは承知の上で、将来に向かっての種まきと信じて、恐れずに伝え続けたい。

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