我が子への声掛けは、自我を捨てた種まきであれ

日々の考えあれこれ

親御さんからたまに、「我が子に声掛けはしていても、聞いてもらえないんです」という趣旨のお話を何度もいただく。

子供は一人一人違うし、各家庭でも家の様子は個々に違うから、十把一絡げに「これをすればいい」と答えるわけにはいかないが、それでも共通して心がけてほしいことはある。心がけてほしいというよりむしろ、私がいつも声をかける際に考えていること、と思ってもらった方がいいかもしれない。

それは、今この場で子供にわかってもらおうと思わないことだ。何を言っているんだと思われるだろうが、自分自身の子供のころを思い出してもらうといいかもしれない。子供のころに親から言われて反発していたことが、今になってよくわかる、という経験は多くの人が持っていると思う。

私のような教育の世界の端くれにいる者でも、志すことは同じ。子供への声掛けは、将来強くなってもらうための種まきである。強い精神の種まき、いっぱしの人間になってもらうための種まきなのだ。その心もて、今日も私は種まきを続ける。

我が子が聞いてくれるかどうかわからない、と思うかもしれないが、諺にもあるが「蒔かぬ種は生えぬ」。何もしないというのが一番よくない。将来に種が芽吹くことを信じて続けてほしい。

ただ最後にひとこと。私心を混ぜないことは大切だと思っている。「この子を学年上位にしてやろう」、「この子を国立大学に行けるようにしよう」、「将来稼げる大人になってもらおう」、これらは子供のことではなく、声掛けをする自分自身の「自我」である。英語でいうならエゴである。子供が立派に育つように、という願いは私心、自我、大人のエゴがあってはいけない。「無我」でなくてはいけない。

我が子の順位を上げたい、少しでもいい高校に行かせたい、それはすべて親の自我である。子供はわかっていないようでも、その辺はよく聞き取っている。自我はエゴはしっかり子供に伝わっている。だからこそ、難しいのは百も承知だがそれらを捨て、ただ我が子が将来、どこに行っても恥ずかしくない人生を歩ませることのみを考えて、種まきという名の声掛けを続けてほしい。

私もそうだ。目の前の子たちが、それぞれにとって実りある人生を歩む心を育てたい。そのための種を、生えるかどうかはわからなくても、いつか必ず芽吹いてくれると信じている。

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