学力低下を叫ぶなら最低限の基礎学力を

勉強あれこれ

とあるニュースに接したのだが、今の学校現場でも、学力低下は顕著だという話である。とある小学校の先生いわく、「うちの学校では学力低下はさほど感じられないが、それは読み書き計算などの基礎のトレーニングを変わらず行っているからだろう」と言うのだ。

探求授業が多くなり、基礎的なトレーニングに時間がさけない学校現場の苦労は察するに余りある。探求授業に意味がないなどとは思っていないが、そもそも探求に際しては、基礎知識が十分に備わっていることが大前提だろう。

探求学習の最たるものは大学での勉強、研究だと思っているが、それとて基礎的な知識や技能が十分以上に備わって初めて行える。私は法学部の出身だが、法律の条文を読むには並の国語力では足りない。そもそもがわかりやすく伝えることを前提にしていないからだ。他学部のことは詳しくないからうかつなことは言えないが、最低限以上のレベルで国語力、数学力、英語力その他の学力がなければ研究などおぼつかないと思う。ゆえに大学入試では、学力検査という名の入試を課し、入学以後の勉強に足る学力があるかないかを問うてくるのだ。単なるふるい落としではない。

東京ではもっと深刻で、特に23区内では中学受験の熱が高く、児童の多くは中学受験の塾に行く。中学受験の勉強は相当以上にハードで、東大に合格するような優秀な人であっても、「中学受験の勉強が一番大変だった」と声をそろえるらしい。そうすると、学校は彼ら彼女らの休憩時間と化す。学校の先生も、過半を超える親たちから「学校での負担が大きいと受験勉強に差し障る」と訴えられれば逆らえず、学校授業はぬるくなる一方。それも彼ら彼女らが塾に通いだす4年生以降、小学校であっても勉強内容がいよいよ難しくなり始める時期にだ。こうなると、塾に通っていない、受験するつもりがない子たちには地獄だろう。学校が厳しく学習指導できない状態にいるのだから。学校によってはそういった要望が強くなりすぎ、学校の宿題が出ないところもあると聞く。

基礎のトレーニングをしっかり積まないまま中学に上がればどういうことになるか。結果は火を見るより明らかだろう。ひと昔以上前であれば、「数学は最初は簡単よ。マイナスの数から入るから」と軽く言えたのが、分数や小数の計算も怪しい小学生が量産され、最初のしょっぱなから目を疑うようなテスト結果が見られるようになる。

論より証拠、今年の某中学の中1生、1学期の期末試験の数学の平均点は50点とまずまず(それでも低いとは思う)だが、200人中50人弱、じつに4分の1の子が30点未満だ。範囲は正負の数すべてと文字式の序盤まで。正直なところ文章題などの応用はともかく、基本的な計算ができていれば、40点は悪くてもとれるはずだ。10点未満の一桁も10人近くいる。

一つだけの例ですべてを言うのはいいことではないかもしれないが、基礎トレーニングの軽視は、今の小学生を取り巻く大きな問題だ。学校の先生だって、現場で歯がゆい思いをされていらっしゃる方も少なくなかろうと拝察する。学校の在り方の議論の中で、生徒一人ひとりに寄り添った個別的な対応を模索すべきという議論もあるらしいが、それなら、全員に最低限の「読み書きそろばん」は身に着けるような指導を、学校の先生にさせてあげてほしい。それが難しいなら、学校の影法師たる塾の出番だ。中学受験をするかどうかはともかく、最低限中学校に上がるための学力を身につけさせてあげられるような場所をつくりたい。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

お問い合わせはこちらまで

タイトルとURLをコピーしました