学校は大切だ

中学生

私は以前から、塾は学校の影法師、学校授業がメインで塾はサブであるべき、というスタンスをとっている。

それはとりもなおさず、勉強の中心は学校であるべき、という考えからきている。昨今は学校だけが勉強ではない、という考えも強くなっているようだが、集団の中で学ぶのは大切な要素だと思っているし、その中でついていく努力をすることもまた大切だと思う。

塾はその中にあって、学校ではカバーしきれない部分を補う影の存在であるべし、というのが私のスタンスなのだが、もう少しその話をしてみたい。

学校を主にすべし、とは考えているものの、学校だって当然万能ではない。その最たるものは、同じクラスの生徒たちの能力の差と、それに対応するのが学校では難しい、という点だ。できる子に発展的な話をするのも難しいし、苦手な子に合わせてペースを落とすわけにもいかないからだ。

塾の出番はここだろう。できる子にいろいろな問題(難問も含めて)を指導できるし、苦手な子に基礎の話をひたすら繰り返させることもできる。

ただ、やはり塾の出番はあくまで学校のサブ、影法師であるべきだ。そのために、塾生に求めたい条件がある。大事な前提条件だ。

それは、学校を大事にすること。できるだけ学校は休んでほしくないし、学校の授業は真剣に受けてきてもらいたい。定期テストも実力テストも、小テストもレポートも、それら集大成としての成績表、内申点もすべて学校のものだからだ。塾はその中にあって、学校を補完する立場であるべきだと思っているし、私はそのような思いで塾生の勉強に口を出す。

ずいぶん以前、もう何年も前に書いたことがあるのだが、できる子ほど学校授業をおろそかにしない。今いる塾生の中でもそうで、成績優秀な子ほど、しっかりと学校授業を聞いてきている。学校授業の話を聞くと、授業の内容から先生の雑談に至るまで、ダイジェスト版で語ってくれる。

学校の役割というものも、大きな転換点に来ているのかもしれない。学校で個別対応を伴う指導を模索する声や議論も出てきているらしい。とんでもないことだ。学校は厳然として、到達目標としての壁を子供たちの目の前に提示し続けていただきたい。優秀な子、ヤンチャな子、頭のいい子、あまり頭のよくない子、すべてを包含して、相対的な立場の中に一人ひとりの子供たちを置いてくれる場所であってもらいたい。

塾はその中にあって、自分の立場を少しでも変えたい子のための場所でありたい。

におか塾は、尼崎市立花町の「勉強を鍛える学習塾」です。

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